【国盗時代絵巻2001年版】

《御注意》
※当ページは「なんちゃって戦国時代」をテーマにしております。
 戦国時代風という表現がピタリと当てはまるように、
 時代考証その他詳細な史実を元にしているわけではありません。
 あくまでも娯楽として楽しんで下さい。


・戦国黎明期を経て戦国新時代へ、
 白紙に戻った日本の覇権を掴むのは?
 
(2000年までの歴史概略はこちら

・2001/04/01
 戦国新時代の幕開けから、領土戦が始まる。

 <美樹氏参戦:本拠地は武蔵国江戸川>
 日付変更と共に江戸川区を占拠。
 前年度の本拠地である備前國岡山より遷都。
 (東京都江戸川区)

 <恩田氏参戦:本拠地は武蔵国越谷>
 日付変更と共に居住地越谷を占拠。
 前年度の本拠地である武蔵國川越より遷都。
 暁刻に身を赤く染め、
 先年来の騎馬衆を率いて南下東進、
 江戸川まで東進したところで美樹氏の反撃にあって敗走。
 しばし身を休め、
 夕刻より夕闇に乗じて西進北馬、
 一気に関東平野をおとしいれた。
 (埼玉県越谷市・草加市・和光市・朝霞市
      川口市・浦和市
  東京都足立区・墨田区・江東区・台東区
      千代田区・文京区・豊島区・練馬区・板橋区)


 <私が書くの氏参戦:本拠地申請は行わず>
 明けの鐘と同時に鳥取を強襲、
 しばらく様子を見つつ伝馬の手配を整え、
 宵・夜半に備前岡山と土佐高知を強襲。
 両市の拠点である城郭を攻め落とし、
 一気に万石大名に登りつめる。
 しかし、特に本拠を据える出もなく、
 領下に置いたまま謎の出発。
 (鳥取県鳥取市/岡山県岡山市/高知県高知市)
 
・2001/04/02
 美樹氏、周辺基盤整備。
 本拠地替えで日の浅い美樹氏は、
 政略地盤が緩い本拠周辺の地盤固めに出兵。
 本拠地周辺の下総地区を併合、
 更に東京湾岸部に経済基盤を求めて中央を突破。
 (千葉県船橋市・市川市
  東京都中央区)


・2001/04/05
 私が書くの氏が本領川崎に帰着・本拠地を構える。
 なお、帰途、八重洲を侵攻し、美樹氏と激突。
 (江戸前の海戦@)
 支領に兵力を蓄えなかった美樹氏の隙をつき、
 中央区を攻略。美樹氏の部隊は本領江戸川へ敗走した。
 その後、千代田城攻めを行うが恩田氏に撃退される。
 (東京都中央区/神奈川県川崎市)

 恩田氏、上州遠征。
 広大な領地を求めて上州へ遠征。
 武州より騎馬衆で攻め込む。
 温泉保養地草津を確保。
 (東京都渋谷区・世田谷区・杉並区
  群馬県渋川市・北群馬郡・吾妻郡)


・2001/04/06
 恩田氏の上州遠征の続き。
 余勢で信州に侵攻、
 そのまま凱旋帰国した。
 (長野県北佐久郡/群馬県碓氷郡
  埼玉県所沢市・新座市
  東京都清瀬市・東久留米市・西東京市)


・2001/04/07
 <重力氏参戦:本拠地は新宿区>
 明時と共に居住地・内藤新宿の遊郭街を占拠、
 平民の圧倒的な支持を得て大名として独立を果たした。
 (東京都新宿区)

 <水上氏参戦:本拠地は習志野>
 五國連合の盟主・水上氏、
 連合解体後は各大名家が四散したため、
 急遽加賀より遷都を行った。
 慣れぬ土地での地盤固めにと出兵を試み、
 下総市川・船橋に攻め入るが美樹氏に阻まれ敗走、
 武蔵川崎へと出兵するも、
 先住の私が書くの氏に阻まれ敗走。
 既に数家の大名に道をふさがれた格好となった。
 (千葉県習志野市・八千代市/東京都葛飾区)

・2001/04/11
 <和泉氏参戦:本拠地は京都>
 昨年の上洛により、陰陽師として朝廷に使えた和泉氏。
 戦乱の世を平定すべく大和郡山より遷都。
 物の怪を落としながら奈良東大寺に宿を取った。
 (京都府京都市・宇治市/奈良県奈良市)

・2001/04/16
 私が書くの氏、江戸侵攻。
 美樹氏の反撃の前に地盤を固めるべく、
 中央へ出兵。
 途中、隣接地である狛江を併合し、
 美樹氏に対抗するために港に台場を築城した。
 (東京都狛江市・港区)

・2001/04/21
 私が書くの氏、筑波遠征。
 転戦を得意とする私が書くの氏、
 関八州を見渡せる筑波山に侵攻。
 ここから天下を見通すのか?
 (茨城県つくば市)

・2001/04/23
 美樹氏、浦安併合。
 海岸部に重点を置いた美樹氏の政策により、
 浦安の広大な漁場を獲得。
 アサクサノリ・貝類を産し、
 更には陸揚場の新設によって経済の発展を促した。
 (千葉県浦安市)

 恩田氏、鳩ヶ谷遠征。
 関東南部に出来た恩田包囲網内部の攻略を開始。
 (東京都北区/埼玉県鳩ヶ谷市)

・2001/04/25
 美樹氏、港侵攻。
 旧領中央区を奪還するため、
 江戸川より海路で港へ侵攻。
 闇に乗じて上陸を敢行、
 警戒態勢にあった私が書くの氏の台場部隊を圧倒、
 被害が大きいとされる上陸作戦での勝利に湧き、
 中央区への足がかりとして地盤を確保した。
 (江戸前の海戦A)
 (東京都港区:海路での陸続き申請の第一号です)

・2001/04/27
 私が書くの氏、横浜併合。
 領土に山間部が多い私が書くの氏、
 経済活動に不可欠な港を得るために南下、
 良港として知られる横浜港を手中に収める。
 これにより、大幅に経済力がアップ、
 戦国一、豊かな国力を持つ大名になった。
 (神奈川県横浜市)

 恩田氏、松伏併合。
 本領周辺部に不安を残す恩田氏、
 遅まきながら基礎地盤を整備するため
 領土の拡大を図った。
 (埼玉県北葛飾郡)

・2001/04/29
 恩田氏、戸田市併合。
 地盤整備作業の続き。
 (埼玉県戸田市)

・2001/04/30
 私が書くの氏、周辺整備。
 本拠地川崎のまわりが手薄な私が書くの氏、
 各大名に倣って周辺基盤整備を開始。
 (神奈川県相模原市/東京都町田市)

・2001/05/01
 恩田氏、住民より領地を献上される。
 空白地の住民が、庇護を求めて支配地に合併。
 住民から庇護を求めるのは珍しいケース。
 (埼玉県与野市・大宮市→さいたま市として浦和市と合併)

 美樹氏、信州遠征。
 当代亡き後も、臆することなく氏族に命を下す美樹氏。
 甥に当たる氏族が信州松本に勢力を持つことを知り、
 先代亡き後も協力関係を崩さぬよう命じた。
 (長野県長野市・松本市)

・2001/05/02
 美樹氏、信州遠征の続き。
 親族の手勢を率いて上田城攻め、開城。
 その余勢を駆って恩田氏の支領である北佐久責めを敢行。
 手勢が上州より駆けつけた恩田氏は浅間山東麓にて迎え撃つが、
 突如浅間山が噴火!
 鬼押し出し付近は溶岩流に飲み込まれて寸断。
 補給路と援軍を遮断された恩田氏はあっけなく美樹氏に敗れ去った。
 (浅間山東麓の戦い)
 美樹氏は佐久平に凱旋、
 支領を親族に任せ、帰途についた。
 (長野県上田市・小諸市・北佐久郡・佐久市)

・2001/05/03
 私が書くの氏、東多摩遠征。
 恩田氏に押さえられた旧領清瀬を奪還すべく北進。
 街道沿いの地域を攻め落としつつ旧領に向かうが、
 知らせを聞きつけた恩田氏自ら出陣、
 激しい攻防戦の末、私が書くの氏は敗走した。
 (東京都小平市・国分寺市・稲城市・府中市・東村山市)

・2001/05/05
 和泉氏、日光怨霊退治。
 関東での依頼を断りきれなかった和泉氏、
 二荒山で旧幕府系の怨霊を退治。
 そののち、上州へ抜けて本領へ帰還した。
 
(栃木県日光市・今市市・塩谷郡
  群馬県沼田市・利根郡)


・2001/05/06
 
水上氏、周辺併合策。
 本領周辺の基盤整備を続ける水上氏。
 経済活動の中心地である千葉を併合した。
 (千葉県千葉市)

・2001/05/07
 <結城氏参戦:本拠地は武蔵国千住宿>
 自由の気風漂う千住宿は、
 恩田氏の支配に最後まで抵抗していた空白地である。
 歴史の空白期の動乱により、
 本拠地である大多喜から姿を消していた結城氏。
 ここに目を付けて旗揚げに漕ぎ着けた。
 遷都を行い、大名として名乗りを上げた。
 また、恩田氏の隙をついて包囲網を抜け、
 海辺から品川・目黒を攻略した。
 (東京都荒川区・品川区・目黒区)
 
・2001/05/08
 
水上氏、周辺併合策の続き。 
 水利権を求めて印旛を攻略した。
 (千葉県千印旛郡)

・2001/05/12
 結城氏、赤城遠征。
 贅沢品として価値の高い錦糸を求めて赤城へ。
 恩田領渋川の対岸まで攻め入るが、
 そこにて陣を構え睨み合いが始まる。
 また、この遠征により上州内で三つ巴の状態となり、
 互いに牽制しあう危機的状況を迎えた。
 (群馬県伊勢崎市・勢多郡)

 重力氏、あきる野遠征。
 自由国家成立を夢見る重力氏、
 秋川を望む広域を取得。

・2001/05/13
 
美樹氏、東京湾岸攻略作戦。
 徹底的に水辺にこだわる美樹氏、
 江戸市中へ出回る食物の利権を得るため、
 湾内の水辺を次々と攻略した。
 (東京都大田区
  神奈川県横須賀市・三浦市)


結城氏、赤城遠征の続き。
 恩田領と対峙した結城氏は、
 持久戦と見て一旦陣を引き払い、前橋へ。
 手薄だった城を落とし、
 主力兵と指揮官を残して、本領へ一旦帰還。
 (群馬県前橋市)

・2001/05/15
 
恩田氏、周辺併合策。
 水運を確保するため、東進遠征。
 特に河川・運河を集中的に攻め、
 利根運河の岸に構えられた天守を持つ城を攻略。
 水利権を種に宗教的な自治を行う野田地域を制圧した。
 また醤油工場を接収、直営として利権を得た。
 
(千葉県松戸市・柏市・流山市・野田市
  埼玉県春日部市)


<恩田氏と結城氏が同盟を締結>
・赤城より帰還した結城氏は、
 同盟の締結に向けて準備を整えていた。
 結城氏は遠征より帰国した恩田氏を訪ね、
 赤城と吾妻、東京湾岸部においての利害を説いた。
 特に赤城周辺の三つ巴状態に
 終止符を打ちたかった恩田氏はこれを快諾。
 恩田氏を盟主とし、
 軍事提携を主とする同盟が締結されるに至った。  


・2001/05/18
 恩田氏、多摩狭山遠征。
 広大な農耕地を得ながら水源域を確保していない恩田氏、
 水源確保を目的として多摩・狭山地域を攻める。
 多摩川の水源である奥多摩を領有後、
 江戸市中までの上水を建設。
 これにより、生活が向上した。
 その足で武蔵中央部の川越城・岩槻城を陥落させ、
 武蔵中央部の支配体制を確固たるものにした。
 
(東京都西多摩郡・青梅市
  埼玉県狭山市・飯能市・入間市・日高市・川越市・岩槻市)
 
・2001/05/19
 
恩田氏、葛飾遠征。
 激しい雷雨に紛れて水上領葛飾を奇襲。
 (柴又の合戦)
 落雷を恐れて長柄を使えない水上氏を沼沢地に誘い込み、
 身動きが取れなくなったところを一気に叩いた。
 水上氏は本領習志野へ敗走。
 その余勢を駆り、河川流域を北上。
 恩田領に囲まれた空白域を走り抜け、
 本領越谷周辺の基盤整理を終了させた。
 (埼玉県八潮市・三郷市・吉川市
  東京都葛飾区)

・2001/05/21
 水上氏、周辺基盤整備。
 佐倉城を攻め、支城として整備。
 下総地域に支配権を確立する。
 (千葉県佐倉市)

・2001/05/22
 恩田氏、周辺基盤整備。
 蕨を併合。
 浮島状の空白地を埋めることで、
 防備の効率を高めた。
 (埼玉県蕨市)

・2001/06/01
 恩田氏・結城氏同盟軍
 北佐久の遺恨を断つべく、
 美樹氏本領の江戸川砦を包囲。
 恩田氏は雅彦の後継として、
 此花咲耶家より養子に受けた、
 長男の彦虎(幼名:虎児丸)が初陣を飾る。
 また、同盟軍の結城氏も若水の後継として、
 次男の陳平(長男の長政は既に戦死)が初陣を飾る。
 しかし、
 美樹氏の籠城の結果、
 美樹軍の放った矢を受けて恩田家当主、雅彦が戦死。
 (江戸川砦の戦)

 恩田氏・結城氏同盟軍、江戸川砦退却戦。
 恩田彦虎は本領越谷に帰着するが、
 結城陳平は恩田雅彦の遺言状を手に葛飾郡部に駐留した。

・2001/06/02
 恩田家、本領帰着直後に家督継承紛争が勃発。
 <御館の乱>
 雅彦の正室に嫡子が生まれず、
 此花咲耶家より養子に受けた2子
 長男の彦虎(幼名:虎児丸)・次男の覇児丸(元服前)のうち、
 重臣の密議により、
 彦虎を後継として新当主(傀儡)に据えた。
 <恩田彦虎が新当主に>
 彦虎は政を軽んじ、
 同盟軍である結城氏を麾下扱いをする無能ぶりを発揮。
 これにあきれ果てた結城氏は、
 彦虎に対して、雅彦の実兄に当たる鷺沢健太郎を擁立。
 (健太郎は雅彦が家を継ぐ前に、
  政略婚で幕府系旗本家に養子に出されていた)
 大阪から呼び寄せるも、恩田家重臣の謀議により暗殺されかかる。
 結局、鷺沢氏は伊勢崎の結城領から沼田の和泉領へ逃げ延びた。

 結城陳平は鷺沢健太郎の擁立に失敗したため、
 恩田彦虎との関係が悪化し、同盟を破棄。
 <恩田氏−結城氏の同盟破棄>
 葛飾郡部を併合、
 正式に結城家の家督を継いで新当主となった。
 <結城陳平が新当主に>
 (東京都葛飾区・台東区・墨田区・足立区
  埼玉県三郷市・八潮市) 


・2001/06/03
 鷺沢健太郎、京都二条城にて和泉氏に仕官。
 <鷺沢氏、和泉家に仕官する形で参戦
  本拠地は申告せず>

 なお、仕官前後に近畿・西海地方攻略に奔走。
 私が書くの領岡山城を攻略するなど
 (岡山城の戦い)
 和泉氏の基盤をより強固な物にした。
 (大阪府大阪市・八尾市
  京都府京都市
  奈良県奈良市
  兵庫県神戸市・姫路市
  岡山県岡山市)

 
 和泉氏、つくば攻略。
 沼田から両毛地区を進軍し、
 私が書くの氏の所領である筑波山を攻め盗った。
 (筑波山の戦い)
 (茨城県つくば市)

・2001/06/04
 和泉(鷺沢)氏、西海遠征の続き。
 南蛮貿易港の長崎に商館を建設して自由貿易を開始、
 博多にも国内流通の拠点を作るなど、
 経済圏の形成に尽力、
 本拠地を博多に定め、定住を和泉氏へ申告した。
 <鷺沢氏、本拠地を筑前博多に>
 (長崎県長崎市
  福岡県福岡市)


・2001/06/05
 和泉(鷺沢)氏、周辺併合策。
 太宰府を併合。
 (福岡県太宰府市)

・2001/06/06
 和泉(鷺沢)氏、周辺併合策。
 北九州を併合し、
 門司を交易地として整備。
 (福岡県北九州市)

・2001/06/07
 和泉(鷺沢)氏、周辺併合策。
 和泉氏の本拠周辺の基盤整備。
 和歌山城を攻め、
 近畿各国の抵抗勢力をほぼ封じ込めた。
 (和歌山県和歌山市)

・2001/06/09
 美樹氏、蝦夷遠征。
 海軍を主体とする美樹軍は、
 手狭な関東の他に。
 新天地を求めて蝦夷へ向かった。
 豊富な海産物を背景に、
 江戸市中への交易物資を確保、
 経済力の向上に努めた。
 (北海道千歳市・札幌市・小樽市)

・2001/06/10
 美樹氏、蝦夷遠征の続き。
 積丹半島を中心に進軍し、
 物資の豊富な沿岸域を傘下におさめた。
 (北海道後志支庁積丹郡・余市郡・古平郡・虻田郡)

・2001/06/12
 私が書くの氏、阿波遠征。
 全国拠点突破政策の私氏、
 横浜より海路で阿波へ上陸、
 徳島城を陥落し、
 周辺の城下町と水田開発を指揮。
 本拠地周辺の人口増加に対応し、
 兵糧の増産に力を注いだ。
 (徳島県徳島市)

・2001/06/14
 和泉(鷺沢)氏、青葉城攻略。
 小倉より西回り・東回り航路を経て荒浜(仙台の外港)に上陸、
 東北の要衝を押さえた。
 (宮城県仙台市)

・2001/06/24
 私が書くの氏、周辺基盤整備。
 本領周辺部に空白地の残る私氏、
 防備を固め、産物を確保する目的で出兵。
 水源・農産物を確保し、
 本領の経済活性化を促した。
 (埼玉県北足立郡
  東京都国立市・立川市・日野市・八王子市・多摩市)


・2001/06/26
 結城氏、松戸遠征。
 領土を恩田氏・水上氏に包囲された形となっている結城氏、
 一時は同盟していた恩田領に侵入。
 しかし、防備を固めていた恩田氏によって撃退された。

・2001/06/29
 恩田氏、飛騨遠征。
 恩田氏当主彦虎の実弟である
 覇児丸が元服。
 先代の善政にあやかり、雅彦を襲名。
 彦虎の暴政を諫めるが、
 軍部を背景にした重臣の謀略により聞き入れられず、 
 独自の軍を鍛えるため、
 覇児丸派の近従だけを連れて飛騨遠征を行った。
 この遠征により、近畿地方に広大な所領を得、
 力を得た雅彦の発言力が急激に高まることとなった。 
 (静岡県静岡市・浜松市
  愛知県豊橋市・名古屋市・犬山市
  岐阜県高山市・岐阜市・美濃加茂市・各務原市
      加茂郡・益田郡・大野郡・吉城郡
  長野県南安曇郡)


・2001/06/30
 恩田雅彦(二世)、彦虎の家督を剥奪。
 近隣諸国との調和を考え、彦虎を幽閉することを決意。
 絶縁中の結城氏に提携を呼びかけ、
 本家内部の対彦虎勢力と結んで反乱を起こした。
 <雅・虎家督抗争>
 圧政に不満を持っていた若手を中心に勢力を拡大し、
 傀儡政権で利権を吸っていた重臣をことごとく斬首、
 雅彦体制を確立した。
 <恩田雅彦家督を掌握>
 
 また、雅彦はこの勝利を気に本拠地を飛騨高山に移動。
 <恩田氏、本拠地を飛騨高山に移動>
 これに伴い、支領化した関東域を安定させるため、
 関東全域の支配権を任せるという破格の条件を提示し、
 結城氏の帰属を打診。
 これに快諾した結城陳平の返答により、
 結城氏は恩田氏の家臣として帰属することになった。 
 <結城氏が恩田氏に仕官>

・2001/07/14
 美樹氏、青葉城攻め。
 水軍に絶対の自信を持つ美樹氏、
 蝦夷と江戸川・三浦より結集した兵力が荒浜に上陸、
 熾烈な上陸戦と籠城戦を数で和泉(鷺沢)軍を撃破し、
 東北の要衝を奪取した。
 (荒浜上陸作戦)
 (宮城県仙台市)

 和泉氏、三浦半島侵攻。
 美樹水軍の還東京湾政策の要衝でもあるこの半島は、
 東京湾に侵入する勢力の監視として、
 重要な位置を占めている。
 美樹氏の青葉城攻めを聞きつけた和泉氏は、
 この要衝を奪うべく、
 親交のある此花咲耶系勢力を呼び寄せ、
 加持祈祷と称して観音崎に侵入。
 神官・巫女に扮した兵士によって、
 手薄になった兵力は瞬く間に制圧された。
 (此花神道の乱)
 (神奈川県横須賀市・逗子市)

・2001/07/15
 美樹氏、上州遠征。
 青葉城陥落の帰途、
 領土である北佐久に巡幸。
 その際、要衝である高崎城を陥落。
 その支配範囲を広げた。
 (群馬県高崎市)

・2001/07/21
 私が書くの氏、周辺基盤整備。
 相模地域に強い私氏、
 点突破政策により、伊勢原を支配下に置いた。
 (神奈川県伊勢原市)

・2001/07/25
 私が書くの氏、陸奥遠征。
 忙しく全国を飛び回る私氏、
 今回は陸奥の要衝、不来方城(こずかた)を陥落。
 またも、農産物の集散地を押さえた。
 (岩手県盛岡市)

・2001/08/05
 私が書くの氏、北信遠征。
 拠点突破戦略が裏目に出、
 所領をことごとく奪取されている私氏。
 その第一戦となった「江戸前の海戦」の相手、
 宿敵美樹氏の拠点を攻略すべく、
 北信に進軍。
 まずは様子を窺うため、山間部野沢温泉を制圧した。
 (長野県下高井郡)

・2001/08/06
 私が書くの氏、北信遠征の続き。
 街道ではなく山間部から様子を窺っていた私氏、
 夜のうちにじわじわと長野を包囲し、
 明けの声と共に長野へとなだれ込んだ。
 しかし、
 不穏な動きを察知していた美樹氏の血族は、
 昨夜のうちに長野を発ち、
 美樹領高崎へと身を寄せていたため、事なきを得た。
 (犀川河原の戦い)
 (長野県長野市)

 水上氏、伊豆遠征。
 下総の雄、水上氏。
 手狭になった半島領の他に新天地を求め、
 伊豆へ進出。
 外房経由の海産物流で交易を開始し、
 江戸市中へ流す物資として、
 経済基盤を新たに確立した。
 (静岡県三島市・沼津市・田方郡) 

・2001/08/12
 恩田連合軍(恩田氏+結城氏)、伊勢遠征。
 毒帝(毒空木氏)の即位と共に江戸より遷都して30年、
 歴史の空白期に毒帝が逝去して20年が過ぎた。
 (現実の1ヶ月は国盗り歴2年に換算されます)
 恩田氏は、黎明期に北伊勢を領有していた結城氏を招き、
 毒帝の造営した伊勢を攻略。
 津城・鳥羽城を支城として整備、
 鳥羽では九鬼水軍を麾下に納めた。
 (三重県津市・一志郡・伊勢市・鳥羽市)

・2001/08/13
 恩田連合軍、伊勢遠征の続き。
 伊勢湾防備の要衝として神島に砦を築き、
 対岸、渥美半島まで上陸して伊勢湾を完全に封鎖した。
 (愛知県渥美郡)

 美樹氏、相模遠征。
 和泉氏の三浦遠征に伴い、
 三浦の拠点を縮小した美樹氏。
 新たな拠点を開拓すべく、
 目を付けたのが相模湾沿岸だった。
 ここだと、交易の拠点ともなり、
 陸路では東海道とも接続する。
 更には宿敵私が書くの氏の行動を押さえる位置でもあり、
 美樹氏にとって、重要な拠点となった。
 (神奈川県茅ヶ崎市・平塚市)

・2001/8/14
 恩田連合軍、伊勢遠征の続き。
 伊勢から伊賀、美濃へ侵攻、
 伊賀上野城・亀山城を陥落し、
 伊賀忍衆を麾下に納め、
 そのまま美濃大垣城を陥落。
 本領から美濃南部を地続き領とした。
 (三重県上野市・亀山市・桑名市・阿山郡
  岐阜県大垣市・海津郡・養老郡・本巣郡)


 私が書くの氏、上総遠征。
 黎明期には上総・下総に広大な領土を持っていた私氏。
 旧領を奪還すべく上総に遠征した。
 (千葉県市原市)

・2001/08/15
 恩田氏、高山に正式遷都。
 毒帝の造営した都、伊勢が荒廃したため、
 伊勢攻めで残党を討伐し、
 改めて飛騨高山を日の本の都として整備した。
 【恩田氏、日本の都を飛騨高山に遷都】
 これにより、30年続いた伊勢文化が終わりを告げ、
 かわって高山文化が花開くことになった。

・2001/08/22
 和泉氏、長崎巡視。
 家臣の鷺沢家の治める長崎で疫病騒ぎが起こったため、
 加持祈祷を大名自ら買って出る。
 なにしろキリシタン系領民の多い土地柄である、
 悪戯な神道教化政策は民心の離反に繋がる。
 ポルトガルでは医薬にも長じていたプヨドール家、
 先代より授かった西洋医術を用い、
 和泉は領民の疫病を根絶。
 絶大な信頼を得た。
 (長崎県佐世保市・大村市)

・2001/08/26
 水上氏、周辺基盤整備。
 堅実に地盤を固める水上氏、
 唯一の支領である伊豆への交通を確保するため
 利根川流域の領土を求めて遠征。
 これにより、
 利根川→外房経由で伊豆領への水運を確保。
 同時に農業&都市上水の取水権を確保し、
 領民の生活向上に寄与した。
 (千葉県印西市・白井市・我孫子市・東葛飾郡)

・2001/08/30
 恩田氏、甲州遠征。
 恩田氏累代の領土である甲州街道沿線を、
 新当主雅彦として凱旋。
 特産の果物や宝飾類の流通の独占権を得、
 領内を通って江戸市中への交易路を確保した。
 (山梨県塩山市・北巨摩郡)

 私が書くの氏、近畿遠征。
 拠点突破政策が災いして、
 領土を奪取される一方の私が書くの氏。
 反撃の糸口を掴むため、
 近畿攻略を決行。
 持ち前の知略で鷺沢領大阪城を陥落、
 続いて和泉氏本領へ進軍するが、
 京都にて敗退。
 しかし、近畿圏に大きな拠点を据え、
 和泉氏包囲網に対する足がかりを得た。
 (大阪城の戦い)
 (大阪府大阪市・豊中市・吹田市・茨木市)

 美樹氏、恩田領攪乱作戦。
 恩田の関東属領(結城氏が防備)に点状に残る空地、
 その一つである中野に忍者を忍び込ませ、
 住民を煽動して独立を喚起。
 反恩田氏勢力の拠点として要塞を建設した。
 (東京都中野区)

・2001/08/31
 恩田氏、甲州遠征の続き。
 (神奈川県津久井郡
  長野県南佐久郡
  山梨県甲府市・東八代郡・東山梨郡・北都留郡)


・2001/09/02
 美樹氏、房総半島統一戦。
 美樹水軍の悲願である房総統一に乗り出す。
 漁業と水運を一手に掌握するため、
 内房・外房に物見台を多数設置。
 情報伝達も併せて強化し、
 房総地域の覇権を得た。
 (千葉県木更津市・君津市・館山市・勝浦市・鴨川市
      安房郡・夷隅郡・長生郡)


・2001/09/03
 水上氏、東北開国遠征。
 最近、活動が活発化してきた水上氏。
 関東から戦乱が広がりをみせ、
 民の不安が日常化しつつある東北地方では、
 自由都市構想を政策として掲げる水上氏に庇護を求める声が多い。
 その民を解放するべく立ち上がった水上氏は、
 自治のために派兵を決断。
 東北を駆け抜けた。
 その際、私が書くの領盛岡・美樹領仙台では、
 留守居役の兵士により
 来不方・青葉の両城にて多少の戦闘はあったものの、
 志気も低く、ほぼ無駄な犠牲を出さずに開城となった。
 (福島県会津若松市・喜多方市・福島市・耶麻郡)

・2001/09/04
 水上氏、東北開国遠征の続き。
 (来不方開城の戦闘)
 (岩手県盛岡市)

・2001/09/05
 水上氏、東北開国遠征の続き。
 (青葉城開城の戦闘)
 (宮城県白石市・角田市・仙台市・岩沼市・名取市
      多賀城市・塩竃市・宮城郡)


・2001/09/15
 美樹氏、東北遠征。
 関東・中部地方に主軸を置く美樹氏、
 蝦夷領との間の中継地・荒浜(仙台)を奪われたため、
 奪還作戦&陸路攻略を敢行。
 「無理ですぞ、姫!
  戦費に見合う収入は得られないと存じます。
  それに、淡姫(あわひめ)までお連れになるとは、、
  お考え直しを!」と提言する老中を張り倒し、
 「大名として
  領土を奪われて黙って見過ごす訳には参らぬ!
  わらわを女と思って侮る輩達に、
  一泡吹かせてやるのじゃ!
  淡姫とて
  大名家に生まれたからには逆らえぬ定め、、
  ええぃ、どけ!どくのじゃ!」
 という具合に家臣を振りきって突撃。
 淡姫も
 バッサリと切った髪で鮮烈な初陣を飾った。
 (来不方城外の合戦)
 (青葉城城外の合戦)

 (岩手県盛岡市・一関市・西磐井郡
  宮城県仙台市)


 私が書くの氏、周辺基盤整備。
 相模国内にて支領となっている伊勢原を併合するため、
 また、背後を脅かす美樹氏への牽制から、
 周辺の併合をすすめた。
 (神奈川県大和市・座間市・厚木市・海老名市)

・2001/09/16
 美樹氏、東北遠征の続き。
 東北を横断し、日本海側より海路で新潟へ。
 新潟より支領のある上州経由で本領へ帰還。
 これにより、東北に主要な港を整備することが出来、
 蝦夷を含めた広域から、物資の供給が可能になった。
 (山形県新庄市・東田川郡
  新潟県新潟市)


 私が書くの氏、周辺基盤整備の続き。
 戦国黎明期は、
 此花咲耶氏の勢力に阻まれ、
 思うように南下政策&相模統一を果たせなかった私氏。
 隠居して此花神社に籠もる周子氏を訪ねるが、
 和泉氏と通じる氏子衆に阻まれ、これを切り捨ててしまう。
 このことが原因で、此花神道はゲリラ戦を展開、
 鎌倉は併合できたものの、
 後々、此花一揆に悩まされることとなる。
 また、背後を脅かす美樹氏を追撃、
 台風後の治山・治水工事に人員が割かれ、
 更に東北遠征で手薄になったところを狙った。
 しかし、平塚は死守され、
 相模地域の情勢は一気に戦乱へ傾くことになった。
 なお、この戦争により、高齢だった「私が書くの」氏が隠居、
 氏名を持たない大名だったことから、
 新当主は「どうして書くの」氏。
 どうやら苗字は「書くの」氏ということで決着が付いた模様。
 (波乗り浜の合戦)
 (神奈川県茅ヶ崎市・秦野市・鎌倉市・藤沢市)

・2001/09/17
 恩田氏、支領内併合。
 領内に空白地が点在する恩田氏。
 反恩田派の拠点とならないよう、
 空白地を埋める政策が始動。
 まずは武蔵領より手を付けた。
 (東京都武蔵野市)

・2001/09/22
 恩田連合軍、陸奥&蝦夷遠征。
 恩田氏と結城氏は広大な領土を手にするため、
 別行動で箱館(函館の旧名称)へと向かう。
 結城氏は精力的に進軍し、
 久保田(秋田の旧名称)・角館・弘前の城を撃破。
 (秋田県秋田市・仙北郡・青森県弘前市)

 恩田氏は海峡を越えて一気に箱館入りし、
 恩田氏悲願の北の大地を踏みしめる。
 夜半、結城氏と合流。
 (北海道函館市)

・2001/09/23
 恩田連合軍、五稜郭攻め。
 道南の西洋式城郭である五稜郭を陥落、
 その余勢で海峡を渡り、
 再び陸奥の内陸部を攻める。
 途中、奥入瀬にて兵馬に異常がみられるも、
 無事に回復して事なきを得た。
 (青森県青森市・上北郡)

 私が書くの氏、成田遠征。
 新勝寺参詣後、諸外国に開港している玄関口を視察。
 違う肌の民に出会い、良き知恵を得た。
 (千葉県成田市)
 また、これと同時に新当主の披露。
 【どうして書くの氏が新当主となった】

・2001/09/24
 恩田軍、盛岡攻め。
 陸奥の激戦地、盛岡城。
 美樹氏が軍備を整える中、
 陸奥全てからかき集めた兵領を総動員し、
 真っ向勝負を挑む。
 激戦の末、
 恩田氏は宿敵美樹氏を下し、盛岡城を得た。
 (北上川の戦い)
 (青森県十和田市・八戸市・三戸郡
  岩手県盛岡市)

・2001/10/03
 美樹氏、長野奪還作戦。
 美樹氏累代の所領が私が書くの氏に奪われて数ヶ月。
 虎視眈々と奪還の契機を伺っていた美樹氏が、
 書くの氏の家督継承の隙に乗じて奪還作戦を決行。
 秘密裏に松本入りし、
 速攻で白馬・長野を陥落させた。
 (第二次犀川の戦い)
 (長野県北安曇郡・上高井郡・長野市)

・2001/10/04
 美樹氏、越後遠征。
 夏季より越後進出を果たしている美樹氏は、
 信州遠征のついでとして基盤整備に着手。
 上越春日山城を攻略して支配権固めに入った。
 (新潟県上越市)

・2001/10/10
 恩田氏、会津侵攻。 
 滅多に他家に攻め入ることのない恩田氏が動き、
 会津水上領を侵略。
 どうやら、江戸市中を中心に飢饉の恐れが出たため、
 穀倉地帯としての会津を欲していたらしい。
 (飯盛山の戦い)
 (福島県会津若松市・耶麻郡)

・2001/10/11
 恩田氏、会津追撃戦。
 前日の会津侵攻で郡山と北方(喜多方)に退却した
 水上氏を追撃。
 郡山部隊は諦め、北方に追撃部隊を投入し、
 これを殲滅。
 後に、
 この一連の会津遠征は老中による独断と発覚、
 大名雅彦はこの老中に切腹を命じた。
 恩田氏は水上氏に使者を送って謝罪すると共に、
 近日中に所領を返還することを確約した。
 (北方蔵町の戦い)
 (福島県喜多方市)

・2001/10/20
 恩田氏、水上氏への会津返還を一転して拒否。
 治安維持上の理由から、
 雅彦は「年明け以降に」と期限を切らずに返還を引き延ばした。

・2001/10/21
 美樹氏、静岡遠征。
 海軍では最強を誇る美樹氏、
 駿河湾より駿府へ上陸、
 駿府城に籠もる恩田氏を包囲した。
 運悪く収穫前だった穀物庫を抑えられ、
 兵糧責めにて陥落した。
 (駿府城兵糧責め)
 (静岡県静岡市・清水市・熱海市)

・2001/10/30
 どうして書くの氏、埼玉(さきたま)遠征。
 開墾大名との異名を取る書くの氏、
 先代に引き続き、どうして氏も農政に明るい。
 柴山沼の建設、種苗所の設置、利水堰の建設など、
 地方豪族領を試験的に活用することで領地に編入した。
 (埼玉県南埼玉郡・北埼玉郡・大里郡・熊谷市)

・2001/11/18
 恩田氏、浅間山の戦いの報復のため、
 美樹氏の支配の強い東信地方へ遠征。
 碓井より国境を越えて北佐久に潜入、
 留守居を努めていた淡姫軍の虚をついて北佐久を奪還。
 そのまま小諸城・上田城を次々と攻略、
 東信地方を一気に統一し、
 支領北巨摩にて腰を据えた。
 (佐久平の戦い)
 (長野県北佐久郡・小諸市・小県郡・上田市・佐久市)

・2001/11/19
 美樹氏(大奥)、淡姫の失態に激怒、
 江戸川より馬を走らせ18日の夜半に高崎入りし、
 鬨の声と共に東信地方になだれ込んだ。
 「よいか淡姫! 戦とはかように戦うものぞ!」
 勝利に酔っていた恩田軍は、
 「まさか翌日に大奥が??」
 と、完全に志気を失い、
 あっけなく半分を奪還されてしまった。
 (佐久平報復戦)
 (長野県北佐久郡・佐久市・小諸市)

 一方、北巨摩に腰を据えていた恩田氏、
 野辺山越えで疲弊した兵力を投入することが出来ず、
 東信の一部は諦めて撤退。
 北巨摩地方の防備を強めた上で、
 松本を陥落すべく中央道を北上。
 しかし、美樹氏が牽制の動きを見せたため松本へは及ばず、
 北巨摩・東信・吾妻・岐阜入り乱れて、
 両氏の争いが泥沼化の様相を呈しはじめた。
 (長野県諏訪郡)

・2001/11/20
 どうして書くの氏、筑波遠征。
 旧領筑波を奪還するべく、埼玉より派兵。
 筑波山麓に防備を固めていた和泉氏だったが、
 経済力で勝る書くの氏の武器に歯が立たず陥落。
 「あの流星雨は、やはり凶星であったか。。」
 落ち延びる帰途、和泉氏は空を仰ぎ、そう呟いた。
 (筑波山報復戦)
 (茨城県つくば市)

・2001/12/06
 どうして書くの氏、恩田氏との領土交換を申し入れ。
 密使を遣わし、
 自領:武蔵國八王子と
 恩田領:武蔵国所沢・清瀬の交換を希望。

・2001/12/10
 恩田氏、どうして書くの氏との領土交換を承認。
 両氏、地頭の任命などを済ませ、正式に手続きを完了。
 (武蔵國再編の書状)
 (書くの氏:東京都清瀬市・埼玉県所沢市)
 (恩田氏:東京都八王子市)


・2001/12/25
 どうして書くの氏、常陸遠征。
 農地視察の為、龍ヶ崎を訪れた。
 (茨城県竜ヶ崎市)

・2002/01/01
 結城氏、新年の挨拶で恩田氏の逗留先である上州川原湯を訪問。
 先代の結城若水の謀略により、
 恩田氏により独立を許され、
 関東以東の共同軍派遣地を割譲される。
 【川原湯の祝儀】
 (独立領土:北海道函館市
         青森県青森市・八戸市・十和田市・弘前市
             東津軽郡・三戸郡・上北郡
         岩手県盛岡市
         秋田県秋田市・仙北郡
         群馬県前橋市・伊勢崎市・勢多郡・吾妻郡
         埼玉県三郷市・八潮市
         東京都荒川区・品川区・目黒区・豊島区
             練馬区・千代田区・文京区・北区
             台東区・墨田区・足立区・葛飾区)

 これにより、恩田氏と結城氏の連合が解消され、
 同盟軍となる。

・2002/01/01
 恩田氏、墓参。
 旧領武蔵練馬にて祖父・雅胤の墓参。
 墓前にて実兄:鷺沢健太郎と鉢合わせするも戦闘は回避。
 なお、水上氏に書状を送り、
 会津領の返還を済ませた。
 (水上氏:福島県会津若松市・喜多方市・耶麻郡)

・2002/01/01
 どうして書くの氏、埼玉遠征。
 武蔵北部への勢力拡大に乗り出した書くの氏、
 水利・農地開拓に適した平野部を配下に収めた。
 (埼玉県比企郡・入間郡)
 これにより、熊谷他を本領に併合。

・2002/01/03
 美樹氏、周辺併合策。
 恩田氏の分裂により手透きになった関東沿岸部に派兵。
 新木場貯木場を併合し、
 地続きによる東京湾支配の幅を広げた。
 (木場貯木場の海戦)
 (東京都江東区)

・2002/01/04
 どうして書くの氏、江戸遠征。
 道玄坂にて結城氏を破り、旧恩田・結城連合領を奪取。
 (道玄坂の合戦)
 (東京都渋谷区)

・2002/01/06
 どうして書くの氏、江戸遠征。
 恩田・結城氏分離の混乱に乗じて、
 念願の江戸中心部への本領獲得を目指す。
 世田谷城に籠もった恩田氏残党を攻め、
 抵抗力を失っていた恩田軍は無血開城。
 これにより、書くの氏は渋谷までを本領に併合した。
 (世田谷城の野戦)
 (東京都世田谷区)

・2002/01/27
 美樹氏、蝦夷遠征。
 東日本最強の水軍を率いる美樹氏、
 初夏の遠征に続いて蝦夷を攻略。
 露西亜との戦いを睨んで知床周辺の防備を固め、
 同時に漁獲による巨富を蓄えることとなった。
 (北海道北見市・網走市・網走支庁網走郡・斜里郡)

・2002/02/09
 恩田氏、武蔵遠征。
 恩田氏の関東氏領の留守を預かる武蔵七党が暴走、
 武蔵國西部の平定を開始。
 混乱の戦いが幕を上げた。
 (埼玉県坂戸市) 

・2002/02/12
 恩田氏、武蔵遠征の続き。
 暴徒化した武蔵七党は、
 余勢を駆って武蔵を西走、
 あきる野原の大悲願寺に立てこもった重力氏の軍勢を、
 火計により虐殺。
 関東諸大名の怒りを買う。
 (大悲願寺の籠城戦)
 (埼玉県富士見市・上尾市・上福岡市・志木市
  東京都東大和市・武蔵村山市・あきる野市)


・2002/02/18
 どうして書くの氏、恩田七党鎮圧戦。
 恩田氏と隣接する書くの氏、暴徒化した七党を鎮圧するため、
 恩田氏の領内にて鎮圧戦を行う。
 甚大な犠牲を出しながらも七党を抑え、
 砦の一つであった神田昌平坂学級の杉並分校にて演説を行い、
 関東における藩校制の再構築をはかった。
 (神田昌平坂杉並分校の説得)
 (東京都杉並区)

・2002/03/20
 恩田氏、渡良瀬遠征。
 武蔵領内にて書くの氏によって鎮圧された恩田七党、
 黎明期の旧領奪回を目標に北へ逃走。
 途中、書くの氏領の北端・北川辺にて戦闘が起こるも、
 統率に欠いた野党が勝てる相手ではなく、敗走。
 無領主地帯だった遊水池周辺を手に入れた。
 (渡瀬遊水池の戦い)
 (栃木県下都賀郡・小山市
  茨城県古河市・猿島郡
  群馬県邑楽郡
  埼玉県幸手市)


・2002/03/22
 日本全土に大規模な群発地震が発生。
 未曾有の大惨事が日本全土を襲った。

 これにより、民草を初め日の本全体が混乱を極め、
 各大名家の統治力が及ばなくなり。
 日の本全てが空白地となってしまった。

 また、この震災で治安が著しく悪化、
 各地は混乱の渦へと落ちていった。
 事態を重く見た各大名は、
 体勢を立て直すべく奔走した。
 
 各大名の震災後の足取りを追ってみよう。
 
 1:書くの家
  恩田家より政権交代を宣言(第3期覇王)
  日本の都を飛騨高山より武蔵川崎へ遷都
  都市復興と同時に都の造営に着手した。

 2:美樹家・水上家・和泉家
  下総の内陸部を本領とする水上氏と、
  沿岸部を本領とする美樹氏、
  永年にわたって抗争を続けてきた両氏だったが、
  震災により水上家では当主雪兎・長子雪永が死亡、
  美樹家では震災後の疫病で当主美樹が病の床に伏した。
  (死んではいない。)
  急速に衰退した両家は、
  領地存続のための政略結婚を行った。
  水上家は雪兎の孫にあたる雪村(14歳)を、
  美樹家・美樹の長女、淡姫(26歳)に婿に出した。
  家名の存続は水上家だが、
  実権は淡姫が握ることとなった。
  一方、和泉家は震災期に九州との音信が途絶え、
  鷺沢氏との主従関係が断絶、
  高齢(既に100歳)となった尚也は震災をも生き残り、
  黎明期の主君水上家を頼って関東に落ちてきた。
  ト占の腕は未だ衰えず、
  新生水上家の家老職に着任した。
  愛称は【爺(じい)】。

 3:恩田家・結城家
  もともと友好関係にある両氏、
  混乱期を共に乗り切るため、連合を締結
  主従関係ではなく、
  対等関係で旧領の復興に着手。
  なお、
  震災の混乱に乗じ、
  武蔵国越谷に幽閉されていた恩田彦虎が逃亡
  行方不明に。

 4:重力家
  自由大名重力氏、
  内藤新宿にて遊郭を経営していたが、
  震災による火災に巻き込まれ、この世を去った

 そして、新たなる歴史の歯車が回りだし、
 復興の気運に沸く日本全土で、
 数々の戦国大名が誕生する。
 また、戦乱の夜が明ける、、、、、


【2002年度版の絵巻へ】