ちょっといいですか?
学図研東京支部NEWS編 
第7回:「人として生きてゆくために」

社会人として世に出て5年目に突入した。
自分の行動が果たして立派な大人といえるかどうかは疑問だが、
世間的にはもうとっくに、【大人】という括りに属する形である。
年齢や所属云々の話は抜きにしても、
私は一生をかけて学んでゆきたいことが一つある。
【『子供と大人』もしくは『個人とグループ』の関わり合いについて】
言葉で書くと小難しく感じるかも知れないが、そんなことはない。
要は【どうやって自分が他の人と付き合ってゆくのか?】、
その絆をどのように太く強くしてゆくのか、
あらゆる年齢世代を越えて、
また、あらゆる地域を超えて育まれる絆とはどういうものなのか。

大学時代には教職過程で子供との関わりを、
学芸員過程で人を魅せる学び方を。
社会人になっても聴講生として大学に通い、
司書・司書教諭過程で人の知的好奇心に応える方法を、
社会教育主事過程では社会全体との関わりを、
それぞれ学び続けている。
それは自分が不器用で人好きのしない性格だから、
また、経験として上手に立ち回れない事から、
半ば自分の存在意義を模索するように、
学び、取り組んできたように思う。

それはこの連載の第1回でも少し触れたように、
成長期の体験が、
現在の自分の考え方に深く影響を及ぼしているからで、
何故自分があらゆる意味で道を違(たが)えてしまったのか、
その答えらしきものを探したかったとも、言える。
そして自分を見つめ直したとき、
やっと1つの解法が見えてきた気がする。
それをみなさんに考えて貰いたくて、
この文章を綴ろうと思い立った、というわけです。

現在の小学生の受験事情を考えると、
身につまされる思いがある。
『子供のため』と称し、
知識の集積としてしか機能しないような、
希望なく果てしない苦痛、
それを「勉強」として強いているような、気がする。
はたして、それが生きた学びなのか?
ということが疑問となって頭に浮かんでは消える。
しかし、実際問題としては、
これは乗り越えなければならない、
仕方のない問題となりつつある。
いくらこの【学歴偏重システム】に疑問を呈そうとも、
社会はそう簡単に変わるものではないのだから。

しかし、
私に言わせればこの件は、
そうやって暗に諦めてしまう側にも問題があるのではないか?
そう思うのである。
「社会が変わらないからしょうがない」ではなく
「この社会でできること」を考えるべきではないだろうか。
それが先達としての、
親や教師をはじめとして、子供のまわりにいる人間全てが、
自覚すべき問題なのである。

私は、中学受験で明治大学付属中野という学校に補欠入学した。
小学校受験も経験済みで、
幼少期は習い事の多さ故、
あまり思いっきり外で遊んだ覚えがない。
プールに英会話、公文式に土曜学校(教会関係の歌や踊り・工作の教室)…。
特に小学校高学年期は、
進学塾を掛け持ちしていた関係で、放課後の記憶=塾の記憶である。
休日にテストがあるため、一週間の全てが塾通いという有様だ。
今同じことをやれと言われたら、発狂すること、まず間違いない。
(しかもそれだけやっておきながら、
 その程度の中学なのだから世話がないというか、悲しい。)

その時、私が自分の意志で進路を選んだかと言えば、そうではない。
残念なことに、私は中学に入学するまで、
【自分】というものをあまり意識したことがなかった。
漠然とした「嫌だなぁ」という感覚はあっても、
それは自分が悪いことだとしか思って居らず、
ずっと長い間【親の言うとおり】素直に従っているような、
そんな自我のない子供だったのである。
当時、近所の友達と一緒に遊ぶ時間がなかったことにさえ、
『当たり前なんだ』と考えていた記憶がある。
感覚がそれだけ、鈍かったのだ。
そこまで期待をかけてくれた親には、
有り難いとも申し訳ないとも思う。
そしてそれが今の自分に繋がっているとも思うけれど、
「何かを欠いた大人になった」という欠落感は、
その頃から漠然と感じている大きなコンプレックスとなってしまった。

それだけに、
今の子供達を見ていると身につまされるものがある。
私の体験に関して、今になって言えることだが、
子供はもっともっと感受性が豊で鋭いはずである。
それがなぜ、そこまで麻痺してしまったのかと考えてみると、
ずっと幼いときから親や周りの人間から言われ続けてきたことが、
先入観として植え付けられていたからだという結論に達した。
「いい学校」「いい大学」「良い会社」=幸福な生活
それが幻に過ぎないことは、
大人の大半は解っているのに、だ。
子供だって、そんなことは疾うに気付いている。
希望のない未来を見据えて頑張り続けるのは、辛い。
やっとのことで縋り付いた小さな希望と引き替えに、
子供達は非常に貴重な「今」を犠牲にするのだ。
そしてその小さな希望も、やがて幻だと確信してしまう。
一握りの選ばれた自信家を除いて。

現在の子供達を見ていても、それが言えるだろう。
最近の中学生を見ると痛烈に感じることだが、
頭は抜群にいい。それは確かである。
でも、個人主義的な傾向が強く、悪く言えば排他的であり、
一般に感情が冷めている。
もっともっと手当たり次第に、
色々なことに興味を持ってもいい時期であるにも関わらず、
『自分の(将来の)やりたいことが解らない』
なんて言葉が口をついて出てくる。
そして、未来に希望も持っていない。
それはやはり、
子供特有であるはずの感受性が埋没した結果ではないだろうか?

変にクールだったり、大人びたことを言うのも、
別に人を軽く見ているわけでもない。
たぶん、自分の感じたことを素直に表現する術を持たないのである。
もしかしたら、
「感じ方」すら、知らないのかもしれない。
感受性の豊かな子供は、
受験勉強のストレスに耐えることが出来ない。
だから、自衛手段として自分から
【感じること】をやめてしまったのではないだろうか?

これは、性格の形成に極めて重大な影響を残す。
性格というのは幼いときから中学・高校のはじめにかけて、
ゆっくりゆっくりと形成される。
自分がどういう人間であるかと考え始めたときには、
既に身を受験戦争に投じているさなかとなってしまう。
学校や塾に通っているだけで満腹感を覚え、
ゆっくりと感受性や人間性を伸ばそうとする時間を
自分から取る余裕が果たしてあるのか、疑問に思う。
今の子供は、自分の感受性を殺すことによって、
【おとなしくて素直ないい子】になっているのである。
感性の形成期に失った時間は、
もはやどこにも求めようがなくなってしまう。
それでも、まわりの人間が同じ状況にあるから、
それがいかに大きな損失であるかをわからないまま、
成長し、大人になってしまうのだろう。

これでは、正常な子供や大人と言えるわけがない。
このことを
「しょうがない」
で、片付けるには重すぎる問題である。
自分が何を言いたいのかも解らずに身悶えしている子供に、
なぜまわりの人間・教師が手を差し伸べないのか。
人格の形成っていうのは、
まわりの環境に大きく左右されるのも事実である。
人は弱い物だから、
一人外れて生きてゆく勇気はなかなか持てない。
それを支えてやるのが、
親であり、
教師であり、
先達としてまわりにいる私達なのである。

では、教師やまわりの人間は何をすべきか?
という問題になってくる。
私の短い経験の上で論じるのは早計かもしれないが、
その子供達の悩みや不安と真っ正面から向き合って、
ストレスを取っていくこと。
そして、時間を有効に使って、
休養を楽しむ方法を教えることだと考える。

人間が変わるのは、
「認められたとき」や
「心から信頼されたとき」「大切にされたとき」である。
まわりの人間が子供を理解すること、
それが感受性を高める上で重要になってくる。
自分を理解してくれる人が居るという認識や、
心に向き合ってくれる人を得ることで、
心の拠り所となり、ストレスも半減する。

家庭の悩みは家族に言えない。
友達の悩みは同じ所属の友達に言えない。
学校の悩みは教師に言えない。
厳密にそうと断言はできなくとも、
心情的に、当事者に悩みを切り出すのはかなりの度胸がいる。
そんな悩みを包み隠さず言える・聞いてくれる・泣ける、
友人と言うよりは乳兄弟というような、
他人だけど兄弟のような、親しくて近しい第三者。
そんな関係が築けるなら、理想だと思う。
殊に親や教師というのは、
「社会の立場、教えるものの立場」に立ちがちである。
子供の側(いわゆる味方)に近い中間的立場の人間というのが、
今の社会で一番欠けていると思う。
例えば年齢の近い近所の兄ちゃんとか、
駄菓子屋のおばちゃんやおじちゃん。
【地域社会】【親族関係】というものが崩壊しつつある現在、
縦の関係(親子・教師と生徒・先輩後輩)や
横の関係(同学年の友達)だけではなく、
こういった【ナナメの関係】を、
再認識しなければならないと、思う。
このことによって、
子供ばかりではなく相互が成長出来ると、思う。
「相手のことを考える」というのは、
こういうささいなことから培われてゆくのだから。

というのも、私自身、
その第三者の助けによって救われた経緯を持つ人間なのだ。
そしてまた、第三者としての関わりからも、
多くを学んだと感じているからこそ、そう言える。

私の中学高校時代、贅沢にも家庭教師に勉強を見て貰っていた。
相手の学業の関係で何人も変わったけれど、
その中で一人だけ、「私という個性」を尊重してくれた人が居た。
その頃の私は揺籃期真っ直中。
感情の起伏が激しく、
世の理不尽に対して怒りながら泣くなんてことがしょっちゅうあった。
過度の期待や他人の生き方との相違に戸惑い、
どこでも構わず当たり散らす程の激情家だった私に、
その人は真っ正面から向かい合い、悩みを解きほぐしてくれた。
時には我が儘をきつく叱咤されながら、
その人のおかげで、私は自分を律することを覚えることができた。

そしてその後数年が経ち、
そんな私に後輩から家庭教師の話が舞い込んだ。
手前味噌の話になる上、
その後輩への配慮から、多くを省くことをお許し願いたい。
あの時の自分と同じように、
両親からの過度の期待にがんじがらめになっている子供だった。
余計なお世話かもしれないとは思ったが(実は今でもそう思う)、
両親や親戚を交え、
かなり家庭の内情に入り込んだ討論をしたこともあった。
自分の内側にある痛みの全てを吐き出すというのは、
自分の心と正面から向かい合わなければならないぶん、
突き破らなければならない厚い壁がある。
人の痛みを完全に肩代わりすることは出来ないが、
痛みを共有することは、できる。
もしくは共有出来なくても、
痛む傷があることが、わかる。
それだけで当人はずいぶんと、気持ちが楽になるものだ。

またその一方で、休養を楽しむ方法を考えるようにした。
「自分の好きな趣味を作るように」と。
趣味を見つけるというのは、
その趣味に向かって感受性がよい刺激を受けるから。
まぁ、突然「作れ」と言われて「はい」と言えることでもないけれど、
後輩なりに「好きなこと」をあれこれ探し、
結果的にその好きなことで学部を選んだのだから、
一つの答えにはなっていたようだ。

受験戦争は当分、おさまりそうにない。
だからこそ、その限られた時間を有意義に過ごし、
感受性や人間性を伸ばす方法を
議論しなければならないのではなかろうか?

【学ぶ意志】は、
生活に【ハリ】と【ゆとり】を持たなければ生まれない。
また、学ぶ意志さえあれば、
自分の貫き通したい道や、自分に対するケジメも生まれてくる。
そして、
本人が今の事態に無関心な限り、この状況は続く。
だから、子供の感性を伸ばして【学ぶ意志】を芽生えさせ、
麻痺した感情を壊してやることが重要になってくる。
自分のやりたいことを見つけるには、
社会に依存して生きているだけでなく、
自分からいろいろと動き回ってみなければ駄目なのだ。
自分から感受性を追って生きていれば、
自分の進みたい道・自分の価値観を大きく前進させるきっかけは、
そこかしこにたくさん転がっているのだから。
そして、自分にとって本当に大切なことが見つかってはじめて、
精神的な一人立ちが始まったと言えるんだと、
私はそう考える。

しかし、それらのサポートの全てを
教師に任せるのは酷というものである。
これらのサポートは、
それらの子供達のまわりの環境として存在する私達、
そう、私達すべてがすべき問題なのである。
私は理想論を展開しているつもりはない。
子供達が苦しみを避けることが出来ないのなら、
せめて楽しみを見つけるサポートをせよと言っているのである。
モノやカネを与えるだけが大人じゃない。
時間と心を割いてはじめて、子供にとっての「大人」になれる。
努力とか根性なんて言いながら、
苦しみばかりを見据させて、
その貴重の時間を過ごさせるのは、あまりに残酷である。
努力や根性という言葉は、
やらなければならないと強要されている事や理不尽な制度に、
無理矢理自分を順応させているに過ぎない、
押しつける側には自己弁護的であり、
押しつけられる側にも自己満足的(自虐的?)な、
そんな要素を感じる言葉である。
私だって、努力が嫌いなわけではないし、
様々な犠牲を払ってまでもしなければならないことがあることも、
わかっているつもりである。
でも、犠牲を払うことが美徳だとは思わない。
ただ、人として、
人の心の痛みがわかる人間になりたい。
そう、
ただ、それだけのことなのだ。

−吉野弘の詩集より一部抜粋−
『優しい心の持ち主は
 いつでもどこでもわれにもあらず受難者となる。
 何故って優しい心の持ち主は
 他人のつらさを自分のつらさのように感じるから。』(「夕やけ」より)
『不器用な苦しみ達はいつも黙っている。
 でなければしゃべっている。
 人を笑わせようとしている。
 そうして、どこにも笑いはない。』(「挨拶」より)

********************************
<note>
初出:1994.2.24
某大学附属某高校図書室・図書館通信1993年度10号
ちょっといいですか?(第8回)
「最後にひとこと言わせてもらいます」←読めます
補足修正:1995.3.14
某大学附属某高校図書室・図書館通信1994年度12号
ちょっといいですか?(第20回)
「鳶色のこぼれ話」
修正・引用:1995/07
   大学講義【教育原理】レポート
改稿・改題:1996/01/23
   学校図書館問題研究会・東京支部ニュース1996年1月号
   「人として生きる」
補足修正・改題:2003.05.27
   HP遊覧航路
   「人として生きてゆくために」
関連文章:1995.11.14
   学校図書館問題研究会・東京支部ニュース1995年11月号
   
「悩み多き人生」←読めます
参考図書:竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』(筑摩文庫/1988年)
吉野弘『吉野弘詩集』(思潮社現代詩文庫/1968年)
松田道雄『駄菓子屋楽校』(新評論/2002年)
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・用語が少し小難しかったり、言い回しが堅いのは、
 最終的な文章の対象が教育者などに向いていたからです。
 これでもこのHP用に随分改善したんですが、、、ううむ。
・というわけで、
 この文章を原型となった文章も、
 noteの初出しの部分に掲載・リンクしました。
 高校二年生の私と、社会人5年生の私。
 どれだけ成長しているのかは解りませんが、
 両方ともそれなりの味があると判断して、
 両文掲載にしてみました。そちらも是非御一読を。
・「教育のチカラ」について、
 真剣に考え始めた一番最初の文章です。
 自分が「お受験」「お受験」の世界に生きてきたため、
 その辛さと、馬鹿馬鹿しさを痛感してきました。
 別にそれが「自分のためにならなかった」というのではないけれど、
 何か根底の部分で道を誤ったような感覚というのは、
 今でも心の底について回っています。
 まぁ、その関係は学図研編1回の
 「自分を諫めること・自分を信じること」につながるわけなので、
 ここではそちらに譲ります。(上のリンク参照)
・その後、教職を志し、家庭教師などを体験し、
 そして司書や学芸員、社会教育などを学んでゆくにつれ、
 ますます学歴偏重社会への疑問は膨らむ結果となりました。
 (その結果、文章は原型を留めぬ程に変化してしまいましたが) 
「能力主義」という錦の御旗の下で、
 大量生産された子供達を見ていると、
 本当にこれでよいのか?と思えて仕方がありません。
・また、連載は当初、私立高校の図書館機関誌であり、
 その読者の大半は図書室に出入りする一般生徒でした。
 同じように疑問を持ちながら、
 NO!と言えない生徒も多く、
 たくさんの声なき声が、私の元に届けられました。
・自己を圧殺される怖さが、子供達の世界にはあります。
 埋没することを恐れ、極端に走る子供達がいます。
 ただでさえ自己形成に悩み、惑う不安定な時期を、
 大人のチカラで押さえ込もうとしないで欲しい。
・「自分」というものを十分に考える余裕を、環境を、
 御願いですから、どうか今の子供達に与えてください。
 未来への希望というのは、
 そういった現実に即して生まれてくるものなんですから。