ちょっといいですか?
図書館通信編 第3回「最後にひとこと言わせてもらいます」

「馬鹿なことばっかりやってないで、
 最後ぐらいは何かまともなことを書きたい。」

これは連載を頂いたときから思っていたことであり
一つの目標だったので、
最後を締めくくるにあたり、
未熟ながら私なりの考えを一つ述べてみたいと思う。

 ここ数年、年齢を重ねるにしたがって、
自由な時間が減っていくように思われる。
当然のことのように思うかもしれないが、
突き詰めて考えてみると、どうも譜に落ちない点がある。
その一つが、社会的制圧である。
やらなければいけないことが多すぎるのだ。

進学校の場合特にこの色彩が強いのだが、
常に内外の競争に身を置いているということが、
どれほど本人にとっての重荷になっているだろうか。
高校受験・大学受験・そして就職。
自分の将来を真剣に考えれば考えるほど、
段々と自由な時間が減っていく。
それに加え、中学・小学校受験。
幼い本人はそんなに意識しないだろう。
その時間がいかに大切な時間かなんて、
成長しなければ分からないのだから。

学歴偏重の世に於いて、この風潮は激化している。
しかし非力な我々ではどうすることもできない、
あきらめるしかないのだ。
しかし、限られた時間を有効に使うことはできる。

また、学歴偏重の兆候は大きな弊害を産んでいる。
最近の新入生を見ていると痛烈に感じることだが、
頭は抜群にいい。それは確かである。
でも、個人主義的な傾向が強い。
悪く言えば排他的であり、個性がない。
ものの考え方が一辺倒で感情の起伏が少ない。
私の感覚で言えば、年々感性が貧弱になっていく気さえする。
ク−ルを由として一生懸命努力することを中傷するように、
人間的感性が鈍化してきているように見えるのである。

性格・感性というものは、
小学校〜高校生までの間にゆっくりと形成される。
自分というものを考える年齢になったとき、
もうゆっくり考えられるほど環境にゆとりがないだろう。
感性の形成期に失った大切な時間は、
もはやどこに求めようもなくなってしまう。

だから、せめてこれを読んでいる人だけでも気付いて欲しい。
今の時間を大切にしてくれ。
無為な時間を過ごして、大人になって後悔しないためにも。
そしてなるべく多くのことを経験して欲しい。
都会でくすぶっているだけじゃあ何も産まれない。
ゴミゴミした社会を振り切って、感性を伸ばす旅に出て欲しい。
日帰りでもいい。
気の合う仲間とちょっと遠出するだけで、
なにかしらつかむことはあるはずだから。

また、この時期の友達というのは一生涯の友達になることが多い。
「友情」「親友」口に出すのも恥ずかしい、陳腐な台詞。
こんなのを語る必要性は全く無い。
本当の親友は、こんなことを語らなくても分かるはずなんだから。
そんな仲間をたくさん作って、
いまのうちに、
できるうちに、
多くのことを経験して欲しい。

そして、人間らしい感性を磨いてほしい。

君達の自由な時間が底をつく前に……はやく。

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<note>
初出:1994.2.24
某大学附属某高校図書室・図書館通信1993年度10号
ちょっといいですか?(第8回)/(同題)
改行:2003/05/27
   HP遊覧航路
関連文・最終稿:2003.05.27
   HP遊覧航路
   
「人として生きてゆくために」←読めます
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・題名では、「最後に一言〜」と書いてありますが、
 翌年度も図書委員に再選されたこともあり、
 結局春休み明けには、あっけなく復活してしまいました。(笑)
・自分としては、文章の内容通り、
 後輩達に対するささやかなメッセージとして、
 年度の総括に書いたもの。
・また、今考えてみると、
 この文章に対する反応の高さが、
 後に教免を、そして社会教育へと私を走らせる、
 一つのきっかけになったことも、言えるんですよね。
・というわけで、
 この文章を原型として、
 何度も何度も練り直して発表した最終稿が、
 関連文として上記のnoteにリンクしてあります。
 高校二年生の私と、社会人5年生の私。
 どれだけ成長しているのかは解りませんが、
 両方ともそれなりの味があると判断して、
 両文掲載にしてみました。是非御一読を。