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【梟雄列伝】
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《断絶した大名_歴戦の強者達_》
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【毒空木家】(〜黎明期)
●毒空木(初代・二代目覇王・故)
『騎馬こそ武者の王道なり!』
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<家紋>
・家紋は、機動力と剛胆さを示す「繋ぎ馬」。
関東に独立国を打ち立てた、古代の剛雄「平将門」にちなみ、
その家紋を旗印として復活させた。
<出自>
・幕府直轄地である施薬院を統べる梅花卯木家の出身。
家柄に押されて医薬を志すものの、
味覚に疎く、処方する薬が将軍の逆鱗に触れ、
施薬院への立ち入りを禁じられる。
その後、毒汁師として闇に手を染めるが、
西欧系華族のファーティマ朝プヨドール二世に、
「毒味役」として召し抱えられる。
名字は、自分を限った本家への皮肉と、
独立という業の深さをしらしめるためのパフォーマンスを兼ね、
プヨドール時代に名乗りだしたのが発祥である。
・その後、和算の技能と商才・行動力を買われ、
同家老中として裏より屋台骨を支え、
関東に覇を唱えるほどに勢力を拡大せしめる。
・しかし、戦国動乱期に突入すると、
領土戦略に飽きたプヨドール氏の及び腰に、
「乱世の奸雄」とさえ称された毒空木氏が意を唱え、
奥州平定の際、本家を押しのけて藤原氏を平定、
それと同時に独立を宣言した。
<戦歴>
・基本的に、開拓勢力として好戦的に領土を拡大する方針をとる。
いわゆる【領土拡大偏重政策】である。
政略は弄するが、内政は苦手であり、
内務に関しては今のところ手つかずとなっている。
・騎馬部隊の練兵力は群を抜いており、
地理や地形的利点を生かした領土戦略をとる。
そのため、主に郡域を中心とした山間地を主体とし、
その領土面積は日本の1/10にも及んだ。
・蝦夷地を始めとして九州までの広大な領地を治め、
比類無き戦国の雄として伝説的な存在となった。
黎明期は上洛こそのがしたものの、
強権を発動して首府を江戸から伊勢に遷都させるなど、
その絶対的な権力を見せつけた。
・しかし黎明期直後の歴史空白期において病没、
後継者不在のために日本中は混乱を極め、
新たな戦乱の世が幕を開けることになった。
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【めそ家】(〜黎明期)
●めそ(故)
『もきゅ〜?もきゅきゅ〜?
キュピーン(-.-)』
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<家紋・出自>
・詳細不明
<戦歴>
・戦国黎明期、水上氏の元に集った連合大名の一人。
領土的にも拡大意欲などは見せず、
本領である薩摩にて静かな余生を送った。
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【屍家】(〜黎明期)
●腐った死体(故)
『死して屍拾う者なし』
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<家紋・出自>
・詳細不明
<戦歴>
・水上氏の元に集った連合大名の一人。
・主だった戦歴などはなく、
関東周辺の雑領を抱えながら、
恩田氏に包囲されて身動きが取れなくなっていた。
しかし、特に本領拡大の野望があるというわけでもなく、
内政を重視した穏健政策によって所領を安堵した。
・家臣に首領卵男が居る。
・現在は領土良くを無くし、
武蔵国内で隠居中。
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【屍家家臣・首領家】(〜黎明期)
●首領卵男(どん たまお)(故)
『とりあえず御飯大盛りで』
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<家紋・出自>
・詳細未定
<戦歴>
・特に目立った戦跡はないが、
良く行動は起こしていたらしい。
・蝦夷出兵や関東出兵を繰り返すも、
毒空木氏や恩田氏に阻まれて敗退。
本拠地令施行によって、
連合系大名が転出した際、
屍氏の留守居役として関東領を与えられた。
・現在は屍氏と共に隠居、静かに没した。
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【重力家】(揺籃期)
●重力(故)
『今こそ自由の民が立ち上がるときぞ!』
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<家紋>
・不明
<出自>
・詳細不明
<動向>
・黎明期には活動していなかった大名。
揺籃期、内藤新宿に遊郭街を設け、
その資金を手に独立。
詳細はずべて謎に包まれている。
震災による火災で焼死。
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