▼井戸端ダァク談議▼
第4回「虚構(からっぽ)の未来」

8月ぐらいでしょうか?
ヒトゲノム(DNA)の解明が終わったというような、
そんな公式発表があったのを覚えていますか?
人間最後のブラックボックス、
ヒトゲノムの解明による様々な利益が
マスコミでも取りざたされるようになってきました。
なんだか、私達の行く末が、
とてもツマラナイ未来へ邁進しているように思えて、
「ほんとうにそれで良いのか?人間。」
そう、首を傾げる毎日です。


ヒトゲノムによる利益で一番期待されているのは、
遺伝子治療だといわれています。
様々な疾病に抵抗するワクチン(人口細胞)に、
人口増殖させた皮膜や臓器との交換など、
“人類の輝ける未来はすぐそこ”
というような押しつけがましさが、
見え隠れしているように思います。


というのも、
本当に研究者が欲しがっている資料というのは、
そんな善意にあふれたモノでないことぐらい、
想像に難くないと思いませんか。
ヒトゲノムが「全て解明された」というのなら、
人間の性格規定まで、
遺伝子配列で暴露されてしまうということに他なりません。
そんな未来が、本当に楽しいと思いますか?


1997年、理系のとある雑誌で、
「サヴァン症候群と天才の遺伝子」に関する
記事を読んだことがあります。
サヴァン症(いわゆる知的障害児が覚醒する天才的な才能)
の人は遺伝子配列において、
ある遺伝子が欠損していることが指摘され、
今までの「天才」と呼ばれる数々の功績者に遺伝子に於いても、
同様の欠損が見られ……という内容でした。
また、同様の雑誌の記述から、
「粗暴癖の遺伝子」や「同性愛者の遺伝子」など、
いわゆる社会成因(後天的性格形成)と思われてきた
メンタルな分野まで、
遺伝子による裏付けがされ始めているというのもありました。


そして、両記事の言わんとしていることといえば、
「天才児は作り出せるのか?」
「劣等遺伝子は治療できるのか?」ということ。


人間として、最後の倫理観を捨て去ろうとしている研究者がいる。
それは、紛れもない事実。
更に、某国政府は血液登録によって、
「犯罪者予備軍をリストアップする」とまで発表した。
つまり、実際に余罪がない者でも、
遺伝子的に犯罪に走る可能性のある人間としてを監視する、ということ。
(悪いけど誇大妄想じゃないんだよ)
そういう未来が着実に近づいていることに、
寒気を覚えます。


無粋な話ですが
精子がお金で買える時代です。
仕舞いには「顔はどういう案配で」「性格は従順で」……
とか言いながら、親が選ぶ時代が来るんでしょうか?
その反面「劣等遺伝子」のレッテルを貼られた子供達は、
どのような差別に遭いながら生きてゆくのでしょう。


生まれたときから人間の優劣や価値が決められるとするなら、
そんな未来は、見たくないと思います。
いくらクローン人間の研究が禁止になったとしても、
倫理観の欠如したこの社会で、
揺らぐことなく尊厳を守り通せる研究者がどれだけ居るのか?
国民総背番号制なんて抜かしている某議員だって居るんだし、
実際、この遺伝子解明には
某輸血団体から血液が提供されているわけだし、
個人情報がここまで駄々洩れの状況で、
そんな未来がやってくるとしたら……。


寒気がします。

こんな日記を書こうと思ったのも、
吊り広告でゲノム特集をしている雑誌を目にしたから。
その見出しの中に
「登校拒否は遺伝子治療で治る?」
という、倫理観のことごとく欠如した一文を見つけたから。


【登校拒否は病気ぢゃない】
真の原因を調べようともしないで、
病気と決めつけて治そうとする。
子供の悲鳴が聞こえるようです。


そうやって、
人の心の奥の奥まで土足で踏み込んで『治療』するとしたら、
そんなの、真っ当な人間のする事じゃない。


そして、そんなことの善悪までも判然としない
ちゃちなジャーナリズムが蔓延する日本で、
こういう話題に触れるのがどれほど危険なことなのか。


ちょっとでも粗暴な素振りを見せたら
「治療」
ちょっとでも躁鬱になったりしたら
「治療」


間引かれて、間引かれて、
残る遺伝子は、
単調で・無機質で・無感動で且つ頭の良い種族?
飛躍的に発展してゆくだろう科学の中で、
それは遺伝子的劣等とは言わないのだろうか?


そんな虚構(からっぽ)の未来なんか、
きっと誰も見たくないのに。
                 

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<note>(血・遺伝子関連ツリー)
初出:1994/01/29
   某大学付属高校図書室機関誌「図書館通信(第9号)」 
   「ちょっといいですか?(第4回)/タダで一食浮く場所教えます」
続編:1995/03/23
   某大学付属高校図書室機関誌「図書館通信(1994年度総集編)」
   「ちょっといいですか?(ボツネタ復活編)/私の献血日記」
初出:1998/08/08 niftyパティオ来来軒
  
 「井戸端ダァク談義(第18回)/愛の献血」(←読めます)
改稿・加筆:2000/11/20
   遊覧航路Web日記「虚構の未来」
再掲:2001/03/15 遊覧航路「同題」
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・親子の性格が似ていると「血は争えない」なんて言われる。
 昔からこれが嫌で、
 「遺伝子なんか関係ない」と思ってた。
 でも、どうしようもなく顔つきが似てきて、
 「なんだか性格も嫌なところだけ似てきたな」
 なんて思い始めたのが高校の頃。
 それだけ、「血」や「遺伝子」に対するこだわりは強いです。
・それから、頻繁に献血に通うようになり、
 「これだけ血を抜いたんだから、もう体にある血は自分の物だ」
 なんて無理に自分を納得させようとしたこともあった。
 遺伝子が変わらない限り、
 いくら血を流したところで根本が変わりっこないのに。
・そして、1997年に理系雑誌の記事で
 遺伝子による性格規定の問題が出て、
 1998年にそれをひっくるめてダァク系にまとめたのが、
 この文章のそもそもの原点。
 しばらく忘れて月日が経ち、
 2000年のゲノム解明のニュースから、
 ちょこちょこ考えていたことを、
 日記に改めて書き直したのがこのバージョンになります。
・そう言う意味では、血関係に興味を持って7年、
 遺伝子に釈然としない物を感じて3年、
 ようやく言いたいことがうまくまとまったような気がします。
・日記の過去ログを読み直しているうちに、
 これはちょっと、ちゃんとしたところに再掲すべきだなとおもい、
 系列である「ダァク」の項目に追加することにしました。
 元々の文章で言えば「ちょっといいですか?」なんだけれど、
 系統的にちょっと違うからね。
・また、「ちょっといいですか?」の両原文は掲載の予定はありません。