10/6
・ピロリン酸Na
 食品添加物(Ph調整剤)。
 いわゆる「保存料」です。
 特に有毒というわけでもなく、
 注意喚起の目的での掲載ではありません。
 単に語感が好きだったので。
 (ピロリ菌みたいで)
・ただ、
 添加物ってどの程度の量が加えられているのか、
 見ただけでは解らないですよね。
 そういう所はちょっと怖いなぁとは思います。
 調理された食材がいつまでも腐らなかったり、
 虫が寄りつかなかったり、
 そういうことはあんまり考えないようにして食べています。
 最近の駄菓子なんて
 成分見たら卒倒するような代物でしょうが、
 それでも好きで買い食いばっかりしてますし。
・ついでに。
 食料品の「原材料名」の欄ですが、
 食品品質表示により、
 重量比の順に書くように定められているはずです。
 (水分を除く)
 まぁ、添加物が上位に来るようなものは無いと思いますが。
 「遺伝子組み換え」の表示と共に、
 しげしげと眺めてみるのも一興。
 自分が思っていた以上に原料順位が違うことに気付くはず。
 これが結構スリリング。
 コンビニスイーツなど、
 しばらく呆然としてみるのも良いかと。
 家庭では到底再現できない味だということは確かですな。
 重ねて言いますが、そういう食品も大好きです。
・「毒ってのはなぁ、
  ある程度蓄積されないと害は出ないんだよ。」
 とは、水産大出身の理科教師の談話。
 子孫を残したい人は気をつけようね。
※追記
 まぁ、人工由来のモノが体に良いかどうかは意見のわかれる所でしょう。
 ただ、
 なんでもかんでも「いけない、いけない」で遠ざけてしまうのは、
 どうかと思っちゃうんですよねぇ。
 色々な怖さは知りつつも、目の前にあるものを「食べるな!」と言われて、
 我慢できる程の精神力はないわけで。
 もちろん、
 それらの添加物を使わない品物を選べる財力もありません。
 ただ、目端を利かせておくことは、なんでも重要だとは思いますよね。
 情報に踊らされるかどうかは各自のご判断で(逃げ)。

10/12
・特年(とくねん)
 コイン(硬貨)コレクター用語。
・「昭和○○年に鋳造された××円玉に価値がある」
 というやつです。
 鋳造枚数は年によってかなりの増減がありまして、
 鋳造枚数の少ない年程、貴重、ということになります。
 貴重度合によって、
 「大特年」「特年」「中特年」「小特年」「準特年」
 の5つに分類されます。
・現行硬貨にもそれは当てはまるので、
 貨幣価値以上で取引されることもあります。
 でも、現行貨幣ではさすがに評価基準が厳しく、
 美品(傷や磨耗が少ない)とか特美品に分類されないと
 等価交換になる場合もありますので御注意を。
 まぁ、そうかと言って
 そうそう見つかるわけでもないのですが、、、
・これで儲けを考えるのは無謀でしょう。
 コレクターが悦に入る程度の価値だと思って下さい。
・なかには、
 プルーフ貨
 (ピカピカに磨き上げられ、
  鋳造年ごとにセット販売される記念セット)
 でしか発行されていない(通常の銀行経由の流通はナシ)
 レアものもあります(もちろん大特年)。
・こういうネタを聞くと、
 財布の中身やお釣りがやけに気になります。
 さすがにレジの釣り銭をひっくり返したことはありません。
※追記
 「特年」という概念で言えば、
 「古い=価値がある」という図式は必ずしも成り立ちません。
 現行硬貨なわけですから、デザイン自体は溢れているわけで、
 特別懐かしいモノでもないからです。
 なので、
 実は平成に入ってからの硬貨が貴重な例も数多くあったりします。
 特に、五百円玉が刷新された年などは、
 新五百円玉の鋳造のために、他の硬貨の発行枚数が極端に少ない。
 ということで、
 狙い目は意外に身近に潜んでいたりもしますが、
 ほとんどの人はそこまで気にしてませんからねぇ。
 そのあたりを狙うようになったら、立派なマニアでありますな。


10/26
・浮立(ふりゅう/ふうりゅう)
 舞いの一種。語源は「風流」という平安時代の民俗芸能。
 「風流系」と呼ばれる民俗芸能だそうだ。
 現在は佐賀県を中心に九州でこの名の奉納舞いなどを
 見ることが出来る。
 一般的には稲作文化系の豊穣祈願&感謝の奉納舞いの系統。
・現在一般的に使われる「風流」の意味は、
 この舞いの様が雅だったことにちなむ。
 念仏踊りや雨乞い、盆踊りや獅子舞の源流。 
・いやぁ、
 大学2年の時の「日本美術史」では、
 「風流の語源が浮立」と習ったんですが、
 どうやらそのような情報は
 ネットから引き出すことが出来ませんでした。
 当時の講義ノートを必至に探したものの、
 民俗学のノートだけプリントと一緒に別綴じにしていたらしく、
 出てきませんでした。取ってあることは確かなのに、、、
・さて、当時の記憶からお話しをしますと、
 もともとの風流は「浮き世に(自力で)立つ」ことだと。
 生活が出来た上で、
 更に何か一つの分野で一角の人物となるには、
 それなりの余力が必要だった。とのこと。
 それは浮き世に逆らうことでもあり、
 いわゆる「傾き者」の意味もあったんだとか。
 でも、「浮き世」って鎌倉・室町〜江戸
 ぐらいの考え方だよなぁ。
 、、、ということで、
 「浮立」で上手いこと言おうと考えていたんですが、
 「浮立は風流の語源説」は10年以上の時を経て脳内で破綻。
 うーん、残念。
・それでも、浮立という舞いが
 系統として存在することを知ったのは、大きな収穫でした。
・実はこの単語を知った時、
 パソ通のハンドルを一時期「浮立」にしてたんですよね。
 風流人になりたくて。
 少なくても、
 その時に加入したコミュニティで5年ぐらい使ってました。
 今はそのコミュニティ自体が消失しましたが、
 今でも連絡を取れば、ニックネームは「浮立」ですね。
 BNWのみんな、元気かなぁ。
 ということで、
 昔々の自分を見ているようで、なんか照れくさい単語です。
 青かったんだなぁ。


10/29
・返り忠
 「寝返り」を美化した言葉。
 忠は忠義の意。
 基本的には寝返って貰った側(利益を得た側)が使う言葉。
 今も昔も「寝返り」という言葉には背徳感がつきまとうので、
 こういって言葉だけでも正当化したんですね。
 「返り忠をしてくれた」というように使用するべきであって、
 裏切られた側が「返り忠をされた」と言うのには
 少し違和感があります。
 ここでは「掌を返した」という意味の「返す」ではなく
 「恩を返す(仇で、ではなく)」という意味の
 「返す」なんですね。
・戦国時代には使われていたようですが、
 下克上当然の世にあっても、
 忠不忠の意味する大義名分(自己利益)は
 大事だったんでしょう。 
 武士道なんていう美意識は
 安定政権(江戸期)になって産まれたものですが
 (しかも武士階級は全人口の7パーセントに過ぎない)
 まだ形を成さないなりに
 「義」の存在を感じさせてくれる言葉だなぁと。
・まぁ、こういった言葉が出来るぐらい、
 寝返りや裏切りの類も多かったと見るべきでしょう。
 現代で使ってみたい言葉でもありますが、
 前述の通り寝返られた場合は使えないので、、、
 案外用途は狭いかも。
 使える立場になってみたい、、、わけでもないが(笑)

10/30
・ビジュアルアナログスケール(visual analogue scale)
 痛みに関する指標の一つ。
・痛みに単位なんて?と仰る方が大半だと思います。
 いや、逆に知ってるといわれると困るんですが、、、
 確かに単位は存在しません。
 でも、あったら便利だと思いますよね。
・解りやすい怪我というのは割合と理解の仕様があるんですが、
 内部の痛みってのはどうも、人に伝えにくいものがあります。
 腰がイッ(逝)てわかったことですが、
 「どんなに辛い時でも優先席に座りにくい」というのは、
 どうにもならないなぁと思うわけです。
 「いい若いもんがなんで優先席なんぞに」と、
 普通の人は思ってしまうわけです。私もそうでした。
 若い若くないで判断するのは止めようと、ちょっと思いました。
 人間色々、一つの常識が偏見を生むことも、
 かくの如くけっこう簡単だったりするんですよ。
・まぁそんなわけで、痛みにも単位があればいいなぁと、
 思います。
 でも、
 痛みというのはとても個人的な感覚なので、
 結局は相対的な尺度でしか測れないわけです。
 まさか、
 「皮膚1平方cmあたりに1mmA 1Vの電流を流したときの
  痛みを1アウチとする」
 なんてことはできないからねぇ。
 本気で採用されたら失神者が続出するだろうし、
 そもそも痛みの種類は一つじゃない。
※余談ですが※
 まぁ、どこかのサイトでは痛みの単位として
 「ハナゲ」を採用しようなどというネタもありましたけど。
(ハナゲを1本抜く時の痛みを1ハナゲとする)
・話がそれましたので、元に戻します。
 そんな中、
 先ごろの入院中、「そいつをなんとか解り合おう」
 という試みがされはじめていることを知りました。
 やはり相対評価ではありますが、面白い試みなので紹介します。
 「死ぬほどの痛みの数値を100、
  なにも感じないときの数値を0として、
  あなたは今、どのぐらいの痛みですか?」
 と、尋ねる方法です。
・まぁ、恋人会話の
 「ねぇ、私のことどれぐらい好き?」
 というのとほとんど変わらんと思う
 古典的な方法かと思いましたが、
 きちんと数値化するところに、ポイントがあるようです。
・さらにこれ、
 数値化するためのツールとして「定規」が存在します。
 「ビジュアル・アナログ・スケール
 (ここでようやく謎単語登場)」
 というもので、
 患者に見せる側には「痛みの度合いをあらわす顔の絵」
 医者側には「数値メモリ」が記入されているという代物。
 定規のまんなかに可動式のツマミがあり、
 患者は「これぐらいかなぁ」と言いながらそのツマミを動かす。
 医者は裏側でそのツマミが示すポイントの数値を読み、
 カルテに記入する。
 相対評価を絶対評価に変換するための方式と言えそうです。
 (まぁ、完全に絶対評価といえないところはありますが)
 これは総合病院など医師数の多い病院で、
 毎度診てくれる医師が違う場合など、
 症状を他の医師と共有するためにも有意義とのこと。
 (面白そうなので担当の女医さんに突っ込んでみた)
 また、とかくあいまいになりがちな患者の言動にも
 ある程度の一貫性を持たせることができる点で、
 評価できると思います。
 「ねぇ、おばあちゃん。今日の痛みの具合はどう?」
 『まぁまぁだねぇ。』
 「昨日はどうだったっか?」
 『そこそこだったねぇ。』
 「一週間前と比べてどうかなぁ?」
 『ちっとは良くなってるとは思うんだけどねぇ。』
 これでは、医者もお手上げです。
・しかし、、、、
 しかしです。
 私にはこの方式は合わないようでした。
 というのも、
 もともと痛みの感覚というのが人よりちょっと鈍いので、
 「どれぐらい痛みます?」
 『うーん。ヘルニアは死ぬ病気じゃないから
  100はあり得ないよなぁ。』
 「頭で考えないで下さいね〜。
  今の痛みの加減を感覚で言ってくださいね。」
 『痛いけど、40ぐらいかなぁ。我慢できるし。』
 「動けないぐらい痛いんですよね。」
 『「痛い」というより、
  「気が付いたら動けなくなってた」んですが。』
 「うーん。この質問はやめにしましょうね。」
 という具合です。
 治療も進んでそろそろ退院という頃になり。
 「じゃあ、入院時の痛みを100として、
     今はどれぐらいですか?」
 『7、80かなぁ。』
 「ぜんぜん良くなってないんですか?」
 『いやぁ、格段に良くなってると思いますよ。
  麻痺もとれてきたし、歩けるようになってきましたから。
  もともと痛みがそんなに強いわけじゃなかったから、
  こんな数値になってますけど。』
 「この質問も、止めといたほうがよさそうですね。」
 全くもって面目ない。<(_ _)>
・まぁ、こんな人間は例外でしょうから、
 この方式はがんばって広がって欲しいと思います。

 で、女医さんにあんまりあれこれ聞いていたら、
 「じゃあ、退院祝いにこのスケールを差し上げますね(^^)」
 とのことで、家にあります。(↑画像)
 説明書きを読んでみると、いろいろな症状に使えるようです。
 例えば「鼻詰まり(完全にふさがった状態を100?)」
 「痔(座れない状態を100?)」
 「ドライアイ(目が開かない状態を100?)」
 「不眠(完全徹夜が続く状態を100?)」
 などなど。
☆色々と応用ができそうです。
 「酔っぱらい」:私は酔っていないとのたまったり、
         すでに手が震えてツマミが動かせない場合は
         強制的に100。
 「恋愛がらみ」:100と答えないと彼女の平手が飛んできます。
         バカップルには問う必要も無いと思います。
         倦怠期に使用すると破局の恐れがあります。
・ああ。痛みとなんにも関係ないや、、、
 ということで、今回はこれにて終了。
・ちなみにこの解答、
 2003年のHPの掲示板に書いた文章の修正版です。
 だからいつもと微妙に文体が違ってます。許してね。


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