遊覧航路2周年記念文集
   「恩田氏と僕」    
by:和泉

ある日、僕の元に一通のメールが届いた。
送り主は恩田さん。
あの人が僕にメールを送ってくるとは珍しい。
一体何の話・・・と、タイトルを見れば、
「遊覧航路2周年文集参加の呼びかけ」との文字。
そういえばそんな事をやる、という話は前もって聞いていた。
なるほど、あの人が作ったHPがもう2年・・・
そうだ、僕も今年は大学の4年生、卒業までもう1年も無い。
(単位に関するツッコミは不可)
なるほど、年を取るわけだよ。


僕と恩田さんの付き合いは長い。
あの人のHPの乗船員名簿を見てもらえればわかるだろうが、
僕が中学1年生のときからの付き合いだ。
もうそろそろ10年にもなろうかと言うところだ。
つまり、あの人のHPの2周年記念文集とは言うが、
僕にとってはこの9年ちょっとの時を振り返る事でもある。
今まで(一応)お世話になってきた恩を少しでも返せれば、
そう思い、こうしてこの企画に参加させてもらう事に決めた。
(あらゆるツッコミ受付不可)


さて、先ずはメールを開いてみる。
『「何を書いて良いかも解らない」だろうと思いますので、
  恩田が1つだけ、相応しいと思われる題名を指定します。』
との事。
なるほど、流石は恩田さん。
何でもいい・・・と言われるよりも、
こうしてある程度方向を示してくれた方が書きやすいというもの。
で、おそらくここまでは同じメールが送られているのだろうな〜、
とか考えながら読み進む。
するとそこに現れたのはこんな一文。
『つーわけで、
 君にもお鉢が回ってきました。
 レポートは書き慣れているでしょうから、
 こいつは【宿題】だと思って挑戦してみてください。』
任せてください恩田さん、立派に仕上げて見せますよ・・とか
思いながら先を読む、自分にあてられたお題はなんだろうか?
『和泉君への「宿題」は
 【W-Potac企画失敗の軌跡】
 【猿投げ帝王と呼ばれて】
 【無茶言わないで下さいよ恩田さん!】
  のどれか(全部でも大歓迎)で御願いします。』
って、3っつもあるぢゃん!!(爆)
しかも参加の"呼びかけ"とタイトルを打ちつつも、
その文中に使われている単語は"宿題"。
なんで僕には3っつも・・・・・?(汗)
その宿題自体が《無茶》ってもんです(爆)
400〜800字が標準と書いてあるけど、
それが3っつと言うことは、つまり1200〜2400字。
すいません恩田さん、それって前期のレポートですか?(泣)


とりあえず泣いていても仕方が無いので取り掛かろうと思う。
しかし・・今まで僕は提出物を事前に仕上た事がまず無い。
当然の事ながら「まあ前日にやるか。」と、初めから決め込んでいた。
この文集の締め切りの日、僕は昼に死体氏に会っていた。
彼も遊覧航路の乗船員、もちろん文集の命令書・・ではなく、
お誘いのメールも行っている。
そんな彼と話していて。
「そういえば、今日って文集の締め切りだっけ?」
・・・・・・・・忘れてた(爆)
そう、実はこの文章を書いているのは締め切り当日だったりする。
一応日付変更ラインを最終締め切りとするならば、
そのラインまで残すところ1時間半。
果たして間に合うのか、和泉(笑)


しかし思わぬところで文集のネタができた・・などと
この状況を半分楽しみながら書く。
書く、と変換しようと思うと「核」が一番初めに
変換される自分のパソコンに少々疑問をもちながらも、
とりあえずは順調に書き進む。
恩田さんから送られてきたタイトルは3っつだったが、
個人的な書きやすさの都合から、
一本に(勝手に)まとめさせてもらう事にした。
とりあえず「無茶言わないで下さいよ恩田さん」については
もう十分だろう、この企画自体が無茶だ(爆)


いや、もう少しだけ真面目に話をするのなら。
実はあの人はそれほどの無茶を言っていた記憶は無い。
W-Potac企画失敗の軌跡、と重ねて話すのなら、
あの人の企画は実に細かい。
無茶と思えるような本気のハードスケージュールは無かったと思う。
ただ恩田さんのタイムテーブルは本気で分刻みで書かれて居たりして、
その細かさが逆に仇になった事もあったのではないか・・と記憶する。
また失敗と言うべきか、どちらかと言えばアクシデントが
向こうからやってくる・・・と、言うべきかもいれない。


例えば僕が中3の時。
上総亀山と言うところに恩田さんの企画で行った。
久留里線という非常にローカルな電車で行く、
のんびりとしたいい所だった。
そのときの目的は「SL9彗星を見よう」だったと思う。
SL9とは、当時注目されたシューメーカー・レビー第9彗星の略で、
あの木星に衝突した「20世紀最後の(最大の?)天体ショー」として
有名になった彗星だ。
その企画で第一に起こったアクシデント。
宿泊地が無い・・・・・・。
そのとき僕らは地元の旅館でレンタサイクルを借りていた。
ので、数人の斥候がキャンプ地を探して東奔西走する羽目になる。
ようやくテントをはれそうな場所を確保し皆で移動。
移動後はテントの設営と併せ、もう一つの大荷物もセットされた。
その荷物とは望遠鏡。
我々が所属するクラブの備品であり、今回の天体観測にあたって
持ち出して・・もとい、借りてきたものだ。
(と言うか、テント自体も備品だったりする)
それを夜の観測に向けてセッティング、後は星が出るのを待つばかり。
急遽決まったキャンプ場だったために、若干回りに障害物が多い
(山がすぐそばだった)が、このさいあまり贅沢はいえまい。
その後はみんなでトランプをしたり、のんびりとご飯を作ったり、
キャンプという空気を満喫しながら時間を過ごし、そして夜がきた。
空を見上げればそこには一面の・・・雲(核爆)
と言う事で、そのときのキャンプは曇ってしまって
彗星なんか見えたもんじゃなかった(と、記憶しているが?)。
まあキャンプ自体は面白かったし、
自分が中学3年生で、2年生や1年生も一緒だったので、
交流を深めると言う意味では楽しかった。
ただ、企画のテーマを考えるのなら・・・やっぱり失敗?(笑)


そしてもう一つ、これは岡山に行ったときの話だ。
この時もキャンプ地が無かった。
これもやはり、突然のアクシデント。
キャンプ地に選んでいた駐車場が工事中・・とかが原因だったような。
と言うわけで、またもやキャンプ地探しになる。
しかしこの時は恩田さんが近くの別のキャンプ地候補を
確保していたために事なきを得る。
なるほど、学習しているというわけだ(爆)
だが、そんな恩田さんのプラス評価も同じ旅行中に
全てが台無しになってしまうのである・・・・・。
この時の企画のテーマは「洞窟めぐり」だった。
この旅行中だけで自然洞、観光洞をあわせて
5,6箇所回る予定でいた。
そのうちの一つである牛追い小屋の穴。
ここは山道を下って行かねばならぬ上に、その道には"まむしが出る"との事で、
みな行く前から相当怯えてはいた。
しかし場所がよくわからないのでとりあえず現地で聞き込み。
洞窟に近い民家で場所を聞く、が、よくわからない(汗)
山道を下って川の側まで行ってみたものの、結局洞窟は発見できず。
聞き込みをした民家でよく冷えたポカリスエットを頂き、
コージー富田(彼も乗船員)が犬と戦い作戦終了。
この時点で微妙に暗雲が立ち込めていた。
次にミスをしたのは秘坂鍾乳穴(ひめさかかなちあな)から
満奇洞(まきどう)までの道のり。
この間の道のりは"全行程歩き"。
そう、まだこの企画がどんな時期に行われたのかを語っていませんでしたね。
これは8月の9〜14日に行われた企画なのだ。
当然の事ながら"炎天下"。
なぜだ、こういう時こそ曇ってくれれば・・・と、心の中でつぶやきつつ進む。
近年僕は個人的な好みの問題で、よく西側へ旅に出る。
その感想だが、「西は東より暑い(気がする)」である。
地理は専門外なので気候に関してはよくわからないが、
西の地域、しかも瀬戸内や四国は特に日差しがきついように感じる。
そしてその地獄の行軍が行われた地は岡山。
さながら亡者の行進のごとく一同は歩きつづける。
ちなみにこの時にも荷物分担はあった。
洞窟で写真をとるために三脚を持ち歩いていたのだ。
運悪く、地獄の行軍の時にこの分担にあたってしまったのが、
もうこれ以上語らなくてもお気づきだろう、そう、私だ(泣)
朦朧とする意識の中で、田舎の道には自動販売機もコンビにも無く、
生命の危険と戦いながら、恩田さんの企画には穴がある・・・と、
ただひたすらに呪い続けた、切ない16のメモリーである。


さて、ここまででお題の2つは消化しただろう。
時間を見れば11時、なかなか好調なようだ。
では残りの1つに取りかかるとしよう。


猿投げ帝王と呼ばれて・・・との事だが、
これに関してはあまり話すべき事も無いようにに思える。
確かに10ゲーム程度投げるのと2,3ゲームの
アベレージがほぼ同じ・・と言うのは我ながら疑問ではあるが。
どちらかと言えば「意外と遊び上手?」と言うコメント
(名簿参照)に関して。
僕は別に遊び上手ではない。
ではなぜ?
うん、なぜだろう、自分でもよくわからない。
でも猿投げにしてもゲテ汁大会にしても、
恐らくそれはたまたま・・だろう。
ただ、猿投げにしてもゲテ汁(カラオケと麻雀)にしても、
両方とも単純に好きだから、なのだろうか。
口が裂けても「若さだ!」とは言えませんな(笑)


以上でほぼお題に関してはクリアしただろう。
全体的に微妙な構成では有るが、
企画自体が微妙だからまあよしとしようじゃないか(爆)
大体無茶ですよ恩田さん。
いや、そりゃ確かにレポートに比べれば楽勝ですけど。
実際この時期(大学4年の6月末)は就職活動もありますし、
前期末のレポートも近いですし、
しかも僕は個人的に運悪く予習の山。
そりゃぁ提出日の期限1時間前になりますって(言い訳)。
しかしまあ間に合えば良しでしょう。
実は期限過ぎても平気と言う裏情報もGETしていましたし(笑)


まあそれはさておき、恩田さんとの付き合いが9年以上、
このHPとの付き合いが2年ほど。
もはやこの縁は切っても切れないものだと諦めて・・・
ぢゃなく、開き直って・・・・でもない、
えーと・・・まあそう考えています。
恩田さんも多忙な生活の合間を縫ってのHPの管理、
本当にお疲れ様です。
この2年間、よくHPを維持してきたと思います、
しかも細かい更新の下。
これからも頑張ってHPを盛り立てていきましょう。
もちろん、参加している我々も一緒に。
では、遊覧航路の更なる発展を願って!


  2001年6月25日(月) 23:20分
   自宅パソコン前にて、和泉


 ・・・・なーんて、きれいにまとめてみたりしました(笑)


<恩田の繰り言>
・そうか、君との付き合いも、もう9年になるのか、、。
 確かに、歳も取るわけだ。(爆)
・W-Potac時代はもとより、
 遊覧航路になってからも、
 イベントの参加率は群を抜いている和泉氏。
 それだけに、
 ハードな企画にも耐性がついてしまって、
 ちょっとやそっとのアクシデントでは驚かない、
 とても打たれ強い後輩になりました。

・岡山企画のことで、思い返したことを一つ。
 そういえばこの企画、
 W-Potac史上で一番ハードなイベントでした。
 5泊6日(車中2泊・テント3泊)で予算は2万5千円。
 鈍行列車で14時間かけて岡山まで出掛け、
 昼は洞窟探検、夜は流星観測。
 「おいおい、いつ寝るんだ。」
 というぐらい、目一杯活動していたのを覚えています。
 いまじゃ、あんなタフな行動は取れないねぇ。

・気が付けば、和泉氏も来年は社会人。
 自由になる時間はぐんと減るけれど、
 できるだけ都合を付けて、
 企画に参加してくれよ!!