『タキビストの終わりなき夜想 −遊覧航路 就航二周年記念−』 「タキビスト」という言葉に馴染みがある人がいるだろうか。 大概の方がハテ?と考え込むだろうこの耳慣れぬ言葉は、 3年目に突入するこの遊覧航路の中でも、 そして、その前史であるW-Potacのなかでも、 ひときわ印象深く参加者を惹きつける「ある事柄」に由来する。 その事柄とは「焚火」である。 そして今ここに来て 「ははぁん。そういう事ね。」 と氷解された皆様にも、 きっと一つや二つ、焚火にまつわる思い出があろう。 かく言う私も、というのは勿論のこと、 乗船客の皆様もきっと、 少なからず、いや、一方ならぬ、 思い入れを持っていることと思う。 この「焚火」という言葉を口にする時、 そんな仄匂う想いを抱く人々、 そんな皆様の総称として、 今ここに改めて、「タキビスト」という言葉を贈ることにしよう。 遊覧航路、殊に前史としてのW-Potacでは、 キャンプ形態のイベントが頻繁に行われた。 それは学生という立場での予算の都合も多分にあるが、 企画者の思惑としては、 「普段出来ないことをしたい」という、 非日常への憧れ、そしてそれを共有したいというところから、 全てがスタートしていたように思う。 そしてそれは、 「同じ釜の飯を食う」 という言葉そのままに、 鍋を囲み、鉄板をつつき、 喰って、呑んで、騒いで、 そして、 話し、笑い、 語り、共感し、 多くの感覚や感傷と共に、記憶として焼きついてきた。 そんな記憶の一隅を照らす、暖かな炎。 時には演者(話し手)の一部として、 時には圧倒的な存在感として、 私達の中心に在り続けてきた「焚火」。 言うなれば「融点」として、 私達の個々を暖め、溶かして、 繋げてくれたその穏やかな炎。 今も昔も、そしてこれからも私達が生きてゆく限り、 変わりなき永き夜の友として、 人々の果て無き夜想を育み続けるであろう焚火。 時には惑い、逡巡し、後悔し、懺悔し、 云いようもなく沈黙するタキビスト達を、 今も昔も、 そしてこれからもずっと見守り続けるであろう焚火。 その深遠なる焚火に、 タキビスト達は今宵、何を想う? 最後となるが、 この徒然なる雑文に敢えてけじめを付けるとするのなら、 恥をかくついでとして、こう締めくくりたい。 【私はタキビストを自負する者の一人として、 このHPに乗船された全ての人々にとっての、 一隅を照らす焚火でありたい。】
2001年6月28日
HP遊覧航路管理人 恩田雅彦
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