博物屋(はくぶつや)
商品bP「水のようにすべらかな月と穏やかに包み込む太陽」
新市街『アセンダント』は、この衛星の中心都市だ。執政院や断罪所などの王立機関が集まり、人々が休み無く行き交う光景は王都の活気に溢れている。海港では各地からの交易船が積み荷を降ろし、毎日のようにバザールが開催されている。大きく海に迫り出した岬の突端には、衛星間連絡船(サテライトボート)の発着する宙港(エアロドォム)の尖塔が、この星の表玄関としてそびえていた。
しかし、この星“曙の女神(エオス)”は、衛星間では珍しい農業立国で、せわしない王都を除いては、穏やかな気候と文化的に恵まれた営みによって支えられている。民は“穏やかであること”を第一に考え、いたずらに利便性を求める技術を開発しようとはせず、重化学工業に至っては国策によってその製造が制限されているほど、全てにおいて人の手の温もりがある穏やかな小国となっている。
「さて、どうしたものかな。」
王都にある小さな洋本屋の事務室(オフィス)で、木犀(ムゥシィ)はどっしりとした樫(オーク)の机におかれた一通の手紙と小包を前に思案に暮れていた。たくさんの手紙の中に突然舞い込んできた小さな招待状。全く身に覚えのない差出人ではあるが、洒落た封筒と包装に興味を覚え、思わず封を切った。そしてその中には、羊皮紙にやや右上がりの筆跡で書かれたカリグラフィの藍(あい)文字で、件の文面が綴られていたのである。
「全く興味がないわけではないんだが……。」
文面の突飛さに些か戸惑い、店の番地を確認する。
「ちょっと遠いな。」
旧市街(モノラル)へは地下鉄道で半日を要する。レターセットの販売用の洋墨(インク)を仕入れに年に何度か訪るのだが、その様な店は聞いたことがない。洋本屋の社長という職業柄、名店の情報には通じているはずなのだが、とは思ったが、ふとした拍子に見つける地元に埋没したカビ臭い名店に迷い込んで感動することもよくあるよな、と、木犀は大柄な体躯をふるわせて高らかに笑った。どうやら、店主の招待状がお気に召した様子だ。
「さて、と。
おおい、水仙(シュイシィアン)!」
店内で商品管理を任せている姪の名を水仙と言った。よく笑い・ちょっと抜けたところのある女性で、まだまだあどけなさ残る容貌のため幼く見られがちだが、既に高等級を卒業して王立研究塔で飛空科学を専攻する若き学者の卵である。
『はい、なんでしょうか、先生。』
店と事務所を繋ぐ木製のドアから、エプロンをしてハタキを手にした水仙がひょっこりと顔を出した。
「【先生】はやめろと言っただろう。
これからちょっと仕入れに出掛けてくる。
2,3日は戻れないと思うが、この天気だ、客も来ないだろう。」
母惑星の言語(マザーワード)で書かれた書物は、高価な分、そうそう売れる代物ではない。客の来ない日はとことん暇で、今日のように天気の良い日は殊更することもなかった。おそらく天気予報(ウェザーニューズ)の長期予報通り、あと2,3日は絶好の旅行日和で、どうせ客足は悪い。開店休業のようなものなのだ。
『またお留守番、ですか……。』
【たまには一緒に連れてって下さいよぉ。】そんな心のボヤキが聞こえてくるほど露骨に肩を落としてみせる水仙。彼女には悪いが、労いのプレゼントを贈る相手を連れて行くわけにもいかない。もともと、水仙をビックリさせる“何か”を仕入れてくるのが私の目的なのだ。
用は済みましたね?とばかりにさっさと扉から退散しようとしていた水仙は、ふと思い出したようにハタキをクルクルと弄びながらニッコリ笑って振り返った。
『お土産っ! 忘れないで下さいね。』
それだけ言うと、こちらの返事も聞かずに店へ戻っていった。
「やれやれ。」
木犀は甘苦い笑みを浮かべると、ボストンバックに荷物を詰め始めた。
交通は王都を中心に放射状に伸びる地下鉄道(王都郊外からは地上線となる)と、各地域の中心を結ぶプロペラ航路、地方港とを結ぶ海上航路からなり、主要都市では各々網の目のように伸びる路面電車が発達している。
モノラル(旧市街)へ伸びる地下鉄道は、旧型となって久しい機関牽引式の列車が使用されている。階層別に発着ホォムの違う地下ターミナルのなかで最も浅い階層にあり、整備もおろそかな閑散路線である。風光明媚な路線ではあるが、南洋地方とは比べるほどもなく、沿線に学校施設が多数あるために、乗客のほとんどは学生である。
【そもそも、こんな酔狂な店を出すのはどんな人間なのか。】
木犀は、トンネルの壁に途切れがちに映る人工投影の天河(イルミネイション)をぼんやりと眺めながら、そんなことを漠然と考えていた。王都で商売をするのはそれなりに利点が多い。母星系の客は好奇心が強いし、賑やかな町にはそれなりの目の利く客もいる。しかし、人の少ない土地にわざわざ店を開くのは賭に近い。
【まぁ、店に行ってみれば全て解るだろう。】
ひどく揺れる列車は地上部へ出、夕暮れに染まりゆく草原を西へ走る。そう言えば、昼からだいぶ時間が経った。併結している食堂車へ出掛け、バゲットのサンドウィッチと芳紅茶(フラワリー)を頼む。地平線にワイングラスを描く夕日をゆっくりと眺めた後、大して眠くもないが、旅券(チケ)に記された寝台席へ潜り込む。古杉の寝台は軋み、スプリングの具合の悪さと相まって、線路の振動を背中に堅く伝える。始めのうちはそれが不快で寝られないが、慣れればそれが一定のリズムとなって体に入り込み、自然と寝付けるようになるから不思議だ。木犀は枕元の洋電燈(ランプ)を消し、読みかけの文庫本に栞を挟む。そして、枕木を蹴る車輪の音を聞きながら、次第に眠りへと落ちていった。
翌朝早く、列車は終点であるモノラルへ到着した。列車を乗り継いで更に西方へ旅する人も見かけたが、ほとんどの乗客は改札へと流れてゆく。旅券を係員に手渡して外へ出ると、駅前は石灰岩で舗装された円形広場がある。板ガラスを幾重にも重ね合わせて作られた虹色のモニュメントがぎこちなく空を画し、モニュメントによって透過・乱反射された朝の太陽が水灰色の石畳に虹色の彩りを添えている。
「予想通り今日も良い陽気になりそうだ。」
木犀は通い慣れた道を歩き、路面電車のターミナルへと急いだ。円形広場の円周から四方へ道がのび、その一つがターミナルと接続している。路面電車は幾つかの系統に別れているが、招待状に書かれていた系統は、彼がいつも仕入れに来る時に利用する主要幹線であった。
シングルアームの採電器(パンタグラフ)が青白い火毬を散らし、海岸道路の急坂をゆっくりと登る。白亜の崖と鈷碧(コバルトブルー)の海が好対照で、目に心地よい。仕入れに来る見慣れた染料屋の店先を通過し、更に幾つかの電停を越え、煉瓦敷きの小さな電停で降りた。天文台をかたどった小さな天蓋型のガス燈が黄白に褪せ、朝だというのに小さく灯っていた。
誰も利用する者が居ないのだろうか、長木榻(ベンチ)はザラついた土埃が被っている。よく見れば、天文台への順路図には朱塗りで「閉鎖中」の文字が書かれている。往時はたくさんの観光客や学校の生徒が見学に訪れたのだろう、意匠を凝らした電停の設備の一つ一つが、木犀の目に物寂しく映った。
「しかし、本当にこんな所に店があるのだろうか?」
道路を渡り、柑橘類の薫る森へと進む。舗装に使われている白亜(チョーク)は雨水に浸食されて、所々に小さな窪みをつくっている。樹々の緑に空の青、小さく曲がりながら伸びる白い道は、長い年月によって程良く景色に馴れた心地よさを感じさせる。
「こういう道も、いいもんだな。」
忙しないアセンダントの往還や、生活の匂いの消せない路地裏に生きてきた木犀にとって、このように人と接点のない小径は新鮮で、それでいてひどく懐かしく感じられた。
「そういえば、水仙はこの街の生まれだったな。」
木漏れ日と樹木香気(フィットンチッド)を全身で吸い込みながら、素直でのんびりとした水仙の性格がどのように形成されてきたのか、なんとなく木犀にも解るような気がしていた。
目印の広場までは、割合と単純な道だった。腕時計を見ると、20分ほど歩いている。普段ならこれ程歩くと疲れてしまう体型だが、不思議と膝にも腰にも負担を感じない。
招待状に書かれたとおり、切り株に腰を掛けてウミウサギを鳴らして主人の出迎えを待ったが、しばらくしてもそれらしい人間は現れない。
「看板以外に、どこに店らしい建物は見あたらないし……。
やはり、誰かに担がれたのかな。」
まぁ、割と良い気分転換にもなったし、それはそれでいいかと荷物を背負おうとしたとき、隣の切り株からこちらを見る小さな視線に気が付いた。
「……白貂と、山根?」
白天鵞絨(ビロード)のように艶やかな毛並みの貂と、銀色に金榛(ヘーゼル)の縦縞が美しい山根が、円らな睛(め)でしばらくこちらを見つめていた。木犀が声を掛けようとすると、いつの間にか現れた森の奥へ向かう小径へ、何度か彼を振り返りながら歩き出した。
「来い、ということなのか?」
半ば信じ難い状況に戸惑いながらも、木犀は煉瓦敷きの小径を進んだ。程なくして視界が開け、青翡翠の八角屋根が映える白亜の建物が現れた。表庇(エントランス)と思われる場所には、木製の看板に香炉(キャンドルポット)のデザインが踊っている。
「いらっしゃいませ。」
元気の良い声の方向に目を向けると、珍しい銀髪の青年が、扉の前で私を出迎えていた。細身ながらも均整のとれた四肢と上背に恵まれ、面立ちや目鼻立ちが秀麗に整っている。目に掛かるほど長く垂らした銀繻子(ぎんしゅす)の前髪がやや病的な印象を与えるが、銀灰(ぎんかい)の虹彩(こうさい)を持つ特徴的に輝く瞳(め)のために、不思議と弱々しさを感じさせずにいた。
「ようこそいらっしゃいました。」
戸惑う私を店内に迎え入れ、大人の背丈ほどの木製の陳列棚が並ぶ商品スペースの外れにある洋卓(テーブル)セットへと導いた。小さく見える外観からは意外なほど雑貨店の店内は広く、3階ほどの高さの八角屋根の梁までが展示スペェスとして吹き抜けになっていた。洋卓のある空間もゆったりとしており、大きく取った天窓から射し込む穏やかな光が、木製の調度で統一された店内を落ち着いた雰囲気に見せている。夕方になれば灯されるのだろう、梁の所々には真鍮(ブラス)の石英燈(ランプ)が吊され、丸い洋卓にほど近い装飾用の飾り棚には、アロマ用の無香燃料を燃やす白油燈(ランタン)が置かれている。
−お茶、どうぞ−
私は店が醸し出す雰囲気に惹かれ、青年に声を掛けられるまで、なんとなくぼんやりと店の中を眺めていた。差し出された深底のティカップには、香気の強いベルガモットの薫るアール・グレイが満たされている。
「頂きます。」
洋卓の対面に腰を掛けた青年は、何か言いたそうにこちらの顔を見つめている。はてさて、私の顔にゴミでも付いているのかな? 手元を動かして顔を拭こうとした木犀に、青年は吹き出すように笑って言った。
「嫌だなぁ木犀さん、僕ですよ、浮流(ながれ)です。忘れましたか?」
初めて会う青年だと思いこんでいた私は、よくよく顔を見てはじめて、見知った顔だということに気が付いた。
「海藍(ハイラン)の若旦那ぢゃないか。
しっかし、見違えたというか、大人びたというか……。
髪と瞳の色が違うから、別人だと思ったよ。」
名前まで知らなかったとは言え、何度も仕入れに通った店の人間を間違えるとは。自分の観察力の無さに呆れる思いだった。しかし、ちょっと外見(フォルム)が変わっただけで解らなくなるなんて、人の記憶や認識なんて割と曖昧なもんなんだな。それなのに、言われてみればどこをどう見ても染料屋の若旦那にしかみえなくなるから不思議だ。 そんな木犀の照れ笑いを察してか、浮流は「若旦那は余計ですよ。」と、悪戯っぽく笑っていた。
「確かに、無理もないですね。
昔は自分の髪の毛や瞳の色が嫌いで、
染めたり瞳に黒水晶(モリオン)の人工レンズを入れたりしてましたから。
どうです?
見違えるほど格好良くなりました?」
「まぁな。でも、目の色は反則だぞ。普通。」
砕けた調子でひとしきりの世間話を終えた浮流は、
「とりあえず、店内を御案内しますね。」と、洋卓を後にした。
吹き抜けには観測気球(ラジオゾンデ)や木製飛行機の模型が飛び、陳列棚には月齢表示(ムーンフェイズ)付きの懐中時計や、色とりどりの貴石・鉱石、瑠璃硝子の遮光瓶に詰められた芳香精油(アロマオイル)、小さな素焼きの植木鉢に植えられた実にサボテンや観葉植物、広口の金魚鉢に広がる平衡世界(アクアリウム)、木製の羅針盤や羊皮紙の古地図、神話の彫り込みが施された八分儀や渾天儀、その他にもアクセサリーや理科学用品など、興味をくすぐられるような物が所狭しと並んでいる。
八角屋根の小ホォルに続く腰折造(マンサード)の展示棟は、採光を良くするために斜天井の部位が天窓となっていた。窓辺には先ほど話をしていた洋卓があり、遠目から見える外の景色は、まるで窓枠で区切られた植物園の硝子室(サンルーム)のようだ。
「ここに並んでいるのは、
ほとんどが商品の材料なんです。
もちろん、この商品をそのまま買うこともできますけれど、
ここでは更に小さな加工を施して、
ちょっとした仕掛けと共に、皆様に提供して居るんですよ。」
「……仕掛け、というと?」
数歩先を歩いていた浮流は、ゆっくりと勿体をつけて振り返る。ふぅわりと深い御辞儀のあとで、意味ありげに小さくこう付け加えた。
「それは店主の気分次第……とでも言っておきましょうか。」
何が何だかサッパリ説明になっていないぞ。ケラケラと笑っている青年を前に、木犀はどうやってこの癖のある店主を困らせてやろうかという小さな思案を巡らせていた。
「さて、そろそろ出来上がっている頃かな?」
翌日の午后、木犀は海藍香染舎で仕入れを済ませていた。仕入れという口実を水仙に使ってしまったということもあるが、都合良く数種の洋墨や羽根筆を切らしていた。折を見て仕入れに来ようと思っていたこともあり、その点では助かったとも言える。
「明日の夕刻迄には仕上げておきます。」
ということだったので、昨日はモノラルの小さなホテルへ泊まった。店主の言うとおり、【何が出来るか受け取ってみるまで解らない】というのは面白い趣向だ。洋燈布(ランプシェイド)の穏やかな燈(あかり)を頼りにホテルの天井を眺めながら、出来上がるだろう品物をあれこれと想像してみては、期待と不安で胸躍る心地を味わっていた。
注文した品物はキーホルダー。金無垢の地に準宝石を組み合わせた、どちらかというと贅沢な注文である。小洒落た店主を困らせてやろうという思いもあったし、今思うと水仙への小さな見栄があったのかもしれない。
しかし、贈る物だからこそ心を尽くしたいというのが私の流儀なのだ。少々の値が張っても、それが相手にふさわしいと思えば、惜しむ気持ちもなくなる。後になって生活が苦しくなることもあるが……。うーん、それは我慢するしかない。相手の笑顔は、それほど嬉しい代価なのだ。
−−それにしても、プレゼントを贈るのはつくづく難しい。何よりも相手に喜んで欲しいし、なるべくなら吃驚させたい。自分の趣味を押しつけても迷惑なだけだし、相手に合わせ過ぎてもつまらない。自分の趣味の物はいくらお金を出しても惜しくないし、本当に欲しい物は自分で買いたいとも思うから、中途半端に囓っただけの相手の趣味の物も逆に迷惑になってしまう場合がある。安い割に良い品物が見つかればよいが、高価すぎて相手に気を遣わせるのは気が引ける。それでいて、あくまでもさり気ない心配りというのは、なかなかできるものではない。つまり、結局のところ贈り物はとびきりの自己満足なのだ。
欲を言えば、その贈り物がきっかけで新しい趣味を見つけるようなことがあれば最高なんだけれど、相手が気に入るかどうかは最後までわからないし、わからないからこそ、面白いのだろう。−−そんなことを漠然と考えていた。
薄藍の色合いが涼しい海藍の和紙袋を抱えたまま、私は電停でぼんやりと路面電車を待った。標識を兼ねた丸板柱に記された時刻表は、歯抜けたようにまばらな数字が散らされているだけで、次の電車までは相当な時間がある。仕方がないとは言うものの、やはり商品が気になった。口寂しさを覚えて上着のポケットを探り、カラコロと缶を叩く途中で買った咳止め飴(コフドロップ)を、2・3粒まとめて放り込む。若店主が手紙に込めた好奇心という小さな仕掛けに、気が付いたら私はどっぷりと填ってしまっているようだった。
雑貨店に戻ったのは、入相(いりあい)の少し前。店主は1人の青年と話し込んでいた。小さく「すいません、少々お待ち願えますか。」と声を掛け、希望の品物について青年と細かいやりとりを交わした後、小さな化粧箱を手に戻ってきた。
「お帰りなさい、木犀さん。
ついさっき、品物が届いたばかりなんですよ。」
藍地に銀箔で惑星系の描かれた化粧箱は、片手で包み込めるほどに小さい。思ったよりもずっと小さいな……。
「とりあえず、開けてみて下さい。」
店主は小さな笑みを浮かべながら促す。よっぽど自信があるらしい。
木犀はその小さな蓋を開き、小さなキーホルダー取りだした。
透明で磨き抜かれた涙型の針入水晶(ルチル・クオーツ)が中心に配され、雫の端に金のチェーンが伸びるシンプルな構造だ。変わったことと言えば、水晶の核の部分に、もう一つの球状の結晶が取り込まれていたことぐらい。取り立てて感動するような仕掛けがあるようには見えなかった。
「この、中心にあるオレンジ色の物は?」
「日長石(サンストーン )ですよ。
ちょっと、キーホルダーをゆっくりと一回転させてみて下さい。」
店主に言われたように、目の高さにキーホルダーを掲げ、ゆっくりと一回転させてみる。
「あ………。」
球体は角度によって輝きを変え、まるで日食のようにその光が満ち欠けた。光の強さの度合いによって水晶も内包物の金針(ルチル)を光らせ、微小な光が星のように煌めく仕掛けになっていた。
「どうです?カップルで持つには象徴的なキーホルダーでしょう?
それとも、口説くためのプレゼントですか?」
店主は相変わらず悪戯っぽく笑っている。
「なにを言ってるんだ、冗談がきついな。
いくら独り身だからって、大人をからかうもんじゃないだろう。」
余計なお節介をする、馬鹿にませた子供だ。聞いているこっちが照れ臭くなる。
「いいんですか? そんなに強がっちゃって。
実はね、それは【2つで1セット】なんですけどねぇ。
今見て頂いているのが《日水晶》、
それじゃあ、こっちの《月水晶》は要らないみたいですね。」
いつの間にか、ポケットからもう一つの化粧箱を取り出し、クスクスと笑いながら手の平で弄んでいる。どこまでも人を食った店主である。
「仕方がない。そいつも頂くよ。
まったく、人の足元見やがって……。」
「有り難うございます。
月の方は、月長石に銀のチェーンで、対になっています。
満ち欠けも月の方がハッキリと出ますよ。」
成る程、《太陽》の暖かいオレンジ色とは異なり、滑らかに冷たい青白を湛える《月》も地味ながら神秘的な光を帯びて秀逸な出来だ。単体でも十分に価値があるが、ペアでは更に色味が増す。
「有り難うございます。
またの起こしを、お待ちしていますよ。
きっと、上手くいきますよ。(^^)」
金貨1枚と銀貨1枚という、考えられないほど安価なキーホルダーの代価を支払うと、最後まで茶化す浮流に照れながらも礼を述べ、私は満面の笑みで店を後にした。
小さな小径を辿って石灰の岩畳まで戻ると、柄にもなく感傷的な雰囲気に包まれた。インディコに染まり行く宙と濃紺に沈み行く森の境に、檸檬のように太い月がユーモラスにポッカリと浮かんでいる。化粧箱の中でコロコロと軽妙な音を立てるキーホルダーを取り出し、ポケットの中で弄んでみる。
どんな顔をするかな? 水仙。
そう言えば、プレゼントをするなんて初めてかも知れない。研究生になるからと、ほとんど面識の無かった私の所に転がり込んできて約半年。近頃は死んだ妻にますますそっくりになってきた。水仙に妻の面影を追うなと言う方が無理な話だろう。俺も男だ、少しぐらいの野心はまだある。
しかし、余計な波風を立てて、この微妙な距離を壊してしまいたくもない。あくまでも、そんな微妙な距離を楽しんでいるだけに過ぎないのだから。乗り越えてはいけない境界線さえきちんとわきまえていれば。
−数日後−
水仙は数日の休暇を取り、モノラルの駅前広場で路面電車を待っていた。
「さぁて、叔父さんに何を買って帰ろうかな?」
几帳面にアイロンをあてたYシャツのポケットには、
洒落た麻の封筒が入っていた。
−それはまた、別のお話で−
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<NOTE>
@【日長石】(和名:灰曹長石/通称:Sun-stone)
《長石の一種/学名:Oligoclase》
モース硬度6.0 /三斜晶系/化学組成 Na・Ca・アルミノ珪酸塩
A【月長石】(和名も同名/通称:Moon-stone)
《長石の一種/学名:Orthoclase》
モース硬度6.0/単斜晶系/化学組成K・アルミニウム珪酸塩
長石は鉱物中でもっとも分布が広く、地殻の約50%を占める。数トンという巨晶も珍しい物ではなく、その種類も多岐に渡る。そのため、微量の元素の混入により、同じ結晶体の中に、様々な種類の長石が同居していることも少なくない。宝石としての価値はそれほど高いわけではないが、比較的安価なため、最近はその一部の良石が宝飾品として人気を博している。
日長石は微量に銅(Cu)が含まれているために赤銅に輝く。更に内包するヘマタイトの平板結晶が含まれ、金属的な煌めきを得た物が、宝石(主にタイピン)として加工される。
月長石は、虹色のイリデッセンス(遊色効果)を示す長石のことを指す。特に、白〜青のシラー(輝き)が月の光に似ていることから、この名が付いた。効果は、アルバイト(曹長石)と長石の互層の境目で、光が乱反射することによって起こる。良質の大結晶は希で、宝飾はカメオが主流だったが、現在は指輪などにも加工されている。
2種類のキーホルダーは、ペア仕様。涙型の針(ルチル)入り水晶の中に、球体の日長石・月長石を配している。お互いに影響を及ぼし合う天体の満ち欠けになぞり、太陽の金属「金」と、月の金属「銀」をそれぞれのホルダーに使用した。金は王者を、銀は貞淑をあらわし、ギリシャ神話の解釈に因れば、アポロンとアルテミスを暗示する金属でもある。
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