ちょっといいですか?
  web編:第1回「卒業」

 就職活動をしているというのに、
僕はどうしても自分が“働いている”姿を想像できない。
今まで、
“アルバイトらしいアルバイトというものを経験したことがない”
というのも理由にあるとは思うのだが、
突き詰めて考えると、どうやらそういった経験云々よりも、
僕自身に
“自分が所属している場所に固執する性格”
がある為ではないのか? 
と最近は思うようになってきたのである。


 そう。「卒業」という実感が、まず湧いてこないのだ。

僕はどちらかというと、
『自分の現在置かれている状況を精一杯楽しむ』ため、
自分の居る場所が崩壊することを考えるのが、
とてつもなく辛く、耐えられない。
願わくばずっとこの関係が続けばいいとさえ思う。
無理だと言うことが解っていても、だ。


 中学時代から、そうだった。
小学校から中学にあがるとき、僕は私立の付属校を選んだ。
その時は自分の意志で進んだ訳ではなく、
気が付いたら塾に通っていて、
気が付いたら志望校に受かっていた。
ある意味で自我の希薄な主体性のない子供だったが、
近所の友達と一緒の学校に通えないことが、
たまらなく嫌だった。


 卒業と同時に、案の定たいがいの友達との縁は切れた。
 中学生の日常の話題など、ほとんどが学校の話ばかりだ。
よく話をしていた友達も次第に話が咬み合わなくなり、
自然消滅的に友達関係が解消されていった。
確かに、中学で友達もたくさん出来たし、
部活の仲間ともしょっちゅう出かけていたが、
なにしろみんなお互いの家が遠い。
中学生が休みの度に遊びに行ける距離ではない。
「なんか、つまんないなぁ。」
そうは思っても、
一度疎遠になった友人との関係を復活させるのは骨が折れる。
そして、いつしか一人遊び系に走り出し、
それと同時に、行動するときの反動が次第に強くなり、
遠出の旅行に出掛けるようになった。


 高校は、同じ敷地に併設されていた。
中学から高校までクラブも一緒だし、
新しく入学してきたぶんだけ、友達も増えた。
いくつかの波乱はあったが、
何でも言い合える親友と呼べる人間も、それなりに出来た。
そしていざ卒業という段階になって、思った。
「このままバラバラになるのは、嫌だ。」


【卒業】
この行事を節目と捉え、
新しい門出に向かってそれぞれの進路を歩むわけだが、
一斉に友達に背を向けて歩き出すのは何故だろう。
卒業と同時に、人間関係が切れる。
僕の、一番嫌な別れ方の一つだ。
だから、それらに少しでも抗おうとして、
僕は一つの私的なサークルを作った。


卒業しても関係が続くように。
忘れてしまわないように。


ただ一つ、“つながってるよ”という、
確証が欲しかったに過ぎないのだけれど。


それでもやはり、切れるべきして関係は切れていった。
一人辞め、二人辞め……、だんだんと人数は減ってきた。
もともとこんなにも不確かなモノに縋り付こうとした事自体、
莫迦だったとは思う。


でも、それでもいい。
それほどまでに、僕は「居場所」を奪われることが辛いのだ。
それが、あの活動もしていないサークルにこだわる理由だ。
僕は極度の寂しがり屋なのかもしれない。


場所があっても、人が居なくなるのは辛い。
僕は常々そう思う。
幼稚園・小学校……、今も変わらず、そこにある。
しかし、僕らが過ごしたときの面影は、
少しずつ、確実に薄らいでゆく。
校舎の建て替えなんかはどうだっていい、
そこにいる人の移動、次々と職場を離れる教師……。
そして、思い出だけがそこに残る。


振り返ることの出来る場所があっても、
そこに置き去りにされたモノが思い出だけなら、
いずれは記憶ともに色褪せてゆく。


しかし、僕が欲しいのは、
そんな玉虫色で都合の良い記憶ではない。
僕は、たとえ姿形は変わっても、
思い出だけにしがみついて生きたくない。
そこに共に過ごした人間が居なければ、意味がない。
人が居て初めて、風景が生き生きと動き出す。
人が居なければ、
場所なんかただのイレモノに過ぎないじゃないか。


だから僕は、別れるのが怖い。
自分って、そんな程度にしか見られてなかったの?
っていうのは慢心なのかも知れない。
確かに、みんな成長するし、
自分の方向がみんなと違うと感じたら、
その居場所に魅力を感じなくなるのかも知れない。


でも、いろんな人が居て当たり前、
自分からどうして世界を狭くしてしまうんだろう?
僕は、そんなことで自分から人間関係を切るのは絶対に嫌だ。


「お前は、間口が広いよな。」
そうじゃない。人との関わりって、
いかに多く時間を重ねたかでしょう?
共有した時間のすべてを否定して、
新しい生活に切り替えられるほど、
僕は器用じゃないだけだ。
遠くにいても近い距離、
どうしてそういう関係を築こうとしないのかな?
なんでそんなに淡泊に、簡単に、
「はいサヨウナラ。」って言えるんだろう。


確かに、歳を取れば取るほど、
自分の自由になる時間は少なくなる。
人付き合いの幅だって、増える一方だし。
就職・結婚、自分の限られた時間の中で取捨選択して、
限りなく大事な友達だけが残る。
それはやむを得ないのかもしれない。
大勢と連絡を取るのは確かに煩雑だし、
それほどみんな、暇じゃない。


ただ、せっかく知り合ったこの縁を、
「卒業」という単なる節目だけで終わらせたくない。


 卒業って、何だろう。
 就職って、何だろう。
 近頃、よく考えては行き止まる。


願わくば、この関係がいつまでも続けばいいと思う。
卒業はもう、目の前だ。
綻び始めた旅行サークルを、繕い続けてここまできたけれど、
果たしていつまで続けられるのか、正直なところ自信がない。


ただ、どれだけ人数が減ろうとも、
「帰りたい」
誰かがそう思ったときに、
暖かく迎えることのできる環境だけは残しておきたい。
たとえこの小さくて不確かな居場所でも、
いつか誰かが必要としてくれるかもしれない。
その時のために場所を守り続けることが、
みんなを巻き込んでしまった僕の、
ささやかな責任だと思っています。


「ここに留まれ」とは誰も言えない。
だからこそ「僕はいつでもここにいる」。
色褪せた思い出の中などではなく、
現実に。
ここに。


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<note>
ファイル作成:1998/03/09 原題「不楽域(pu-le-yu)」
     引用:1999/11/15 旅行情報サークルW-Potac 会報16号
  加筆掲載:2000/09/24 HP遊覧航路  
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・いわゆる「ボツ原稿」からのリメイク・ナンバーです。
 ヘルニア手術の直後、就職戦線に放り出され、
 友人達のそれぞれが、自分のためにがむしゃらに頑張りだした頃。
 自分に自信がなくなって、
 「これでいいんだろうか?」と、序文書き出したのが最初だった。
 原題の「不楽」は古語で「さぶし」、つまり「淋しい」の意。
 それに「場所」を表す「域」をつけて、
 「淋しい場所」=【心】を表そうとした。
 敢えて中国語読みにさせたのは、
 ちょっと出所を誤魔化したかったから。
・でも、書いているうちにメッセージ色が強くなりすぎ、
 気恥ずかしくなってボツに。
 それでもずっと気になっており、
 時折開いてみては、一言二言添えて、
 保存するというのを繰り返していました。
・就職活動にもいよいよ余裕が無くなってきたころ、
 「ヒトはね、簡単に変われるんだよ。」と、友人は言った。
 自分が社会に飲まれていくことがどうしようもなく怖くて、
 友人の言葉を頑なに否定した。
 そしてほんのつまらないことで喧嘩をして、
 半年以上、連絡を取り合わないことがあった。
 変わらないことが良いことだと思っていた。
 それで、題名が「卒業」になった。
 文章の大半は、この時に書いたものだ。
・そしてこの文章は、ずっと手元で暖め続けるものになった。
 いざ卒業、就職という節目が来ても、人目には触れさせなかった。
 自分に向けて、ひたすらに深く、濃く、真っ直ぐに、  
 自分の有り様(ありよう)を突き詰め続けた。
・そして、旅行情報サークルを解散する段になって、
 この文章を開いて、思った。
「時間は流れてしまったんだ」と。
 最終号の会報にはこの文章の一部を引用し、
 そして、HPの遊覧航路に、その役目を引き継がせた。
 ささやかな「居場所」を守るために。
・だから、この場所が細々とでも永く続くように、
 「決意」いや「覚悟」として、
 2年半、ずっと繰り返し自分に呟いてきた言葉達を、
 大幅な加筆修正をして、掲載することにしました。
・相変わらず綻びだらけで、繕うだけで精一杯のHP、
 ギャアギャアと口うるさい文句ばかり書いていますが、
 それでも参加してくれている方々が居ることに、
 これでも深く深く、感謝しているんですってば。(笑)