地学部劇場(地質編) 暗闇の雫(鍾乳洞探検記) 第1話:「飛べ!」 中学一年の春、僕は一つの決断を迫られていた。 「学校の屋上から飛び降りようか?」 「それともこのまま家に帰ろうか。」 部活の先輩達はとてもよくしてくれたし、 学校にも慣れてきたところだ。 それなのになぜ、こんな状況に僕は置かれて居るんだろう。 校舎の下で、臆病者を罵る声が聞こえる。 「早く飛び降りてみろよー、案外、その方が楽かもよー。」 「怖くなんかないぞー、ひと思いに死んでみろー。」 校舎の屋上は5階の高さに相当する。 僕は、ガタガタと震える足で鉄柵を乗り越え、 とうとうついに体を宙に躍らせた……。 と、ここまで大袈裟に書いた所で、 これはイジメではないことを断っておこう。 洞窟技術に関わる立派な訓練のひとつ、 【懸垂下降】を初めて体験する心境を記した物だ。 少しばかり単調な説明になるが、 洞窟の物語が始まるまで、 ほんの少々、お付き合い願いたい。 私の所属していた部活は『地学部』、 洞窟探検と天体観測・気象現象の検証を主とする文化系クラブだ。 しかし、普段は活動の主軸を洞窟探検に据え、 学術面を勉強する部会(ほとんどトランプゲーム)の他に、 週2回のケイビング練習とミーティングがあった。 【ケイビング(caving)】とは、洞窟探検のことで、 練習は洞窟に潜るために必要な技術と体力の修得を目的とする。 私達の洞窟探検は 一般観光用に照明設備や階段などで整備された いわゆる“観光洞”ではなく、 照明はおろか洞内の案合図さえない “自然洞”を主なフィールドとして活動を行っていた。 つるつる滑る鍾乳石の壁を乗り越え、 底の見えない縦穴や裂け目を渡る。 もちろん、洞窟には自分達でザイル(綱)を張って進む。 ある程度の場所は確保(命綱)無しで挑むため、 すべては自分の判断力と体力、 そして技術と気力が総合的に試されるのだ。 その一つ一つの経験は後ほど書くとして、 大袈裟ではなく、死と隣り合わせの場所での安全のために、 技術の習得と体力の向上を目指して、 訓練が行われていたのである。 体力面での練習は他とほとんど変わらない、筋トレである。 文化部として登録されているにもかかわらず、 体力がある程度必要とされる上、 練習も気合の足りない運動部程度には、ある。 純粋な文化部を思い浮かべて入部すると、 少々痛い目に遭うことになる。 そんな痛い目の一つが、 冒頭部の【懸垂下降】と呼ばれる訓練である。 ロープを屋上から垂らし、 安全具(ハーネス)を付けて降下するというもので、 その高さに慣れるまではかなりの恐怖を伴う。 消防士、レスキュー隊などではお馴染みの訓練として、 テレビの映像で御覧になった人も多いのでは。 この訓練は屋上の鉄柵(腰あたりの高さしかない)を 越えるまでは安全具を付けないため、 その時点で落ちたら即死となる。 地面はコンクリート。 (現在は安全面指導の為、ウレタンマットを敷いている) 震える足で柵を越え、 ロープに安全金具(カラビナ・エイト環)を取り付ける。 あとは、壁を勢い良く蹴っ飛ばし、 宙空に身を躍らせるだけである。 ロープを握る手を緩く離せばアクセル、 きつく握ればブレーキ。 壁を蹴ってジャンプをしながら、 ちょいちょいと降りていく、という具合。 慣れてくると、 落下のGが爽快に感じるようになり、 依存気味になる部員も居るぐらい、 人気のある訓練となる。 その他の訓練は、 ・こぶ付きのザイルを2階まで登ったり (洞窟内で斜面を登る時に使う) ・鉄梯子(ラダー)の乗降訓練 (縦穴を降りる時に使う) などで、 それぞれ洞窟内を安全に移動するために、 欠かせない訓練となっていた。 冒頭の訓練が嫌で、入部を諦めた友達もいた。 私はなんとか、地上に降りることができ、 それ以来、すっかりこの訓練にハマッてしまい……。 鍾乳洞が実際にどういう所かも知らないまま、入部届けを提出。 逃げられない状況にされていたことにも気付かないまま、 洞窟デビューの日が、刻一刻と迫っていった。
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