ちょっといいですか?
図書館通信編 
第6回:「いま、駄菓子屋が新しい!!」

暮れも押し迫った12月30日、
私は日暮里駅のホームに降り立った。
「さぁて、今日は買うぞぉ〜!!」
新年を迎えるにあたり、
暇な年越しをにぎにぎしくするべく、
駄菓子屋問屋街(駄菓子屋横町)へと歩みをすすめた。
そこには一面懐かしい駄菓子や玩具で埋め尽くされた、
心くすぐる世界が開けている。
あっという間に一杯になる荷物を抱えながら、
ふと、小さな頃を思い出した。

私は、池袋にほど近い昔ながらの住宅地に住んでいるせいか、
今にしては駄菓子屋の多く残る環境に育ちました。
私の少年時代(と言ってもたかだか12、3年前に過ぎないのですが)、
テレビゲーム(いわゆるファミコン)が爆発的に普及する少し手前、
まだまだ家の中で遊ぶなんてことが考えられなかった、
そんな時代だったことは確かかな。
(なんだか爺臭い書き出しだな)
我等、天衣無縫の小学生軍団に、駄菓子屋は欠かせない存在だった。
何をするときでも駄菓子屋は常に私達の溜まり場であり、
情報中心基地でもあった。
当時流行っているモノはすべて駄菓子屋に揃っていたし、
限りある小遣いでも、
何とかやりくりできる品物だけしか置いていなかった。
学校で禁止されたような品々も堂々と置いてあるし、
なにしろ大人の来ない子供だけの店だからこそ、
小さな秘密と共に、様々な思いを共有した。
狭い店内の床から壁から天井からと、所狭しと並ぶ魅惑の品々。
わざとみんな違う駄菓子を買い、
ちょっとずつ分け合いながら外を駆けた頃。
毎日が自由奔放、
今考えるとかなり無茶苦茶なことをやらかしていたものだ。
警泥なんて住居不法侵入で成り立っている遊びだし、
空き地でBB弾の撃ち合いもしていた(いわゆるサバゲーの子供版)。
その中でも、警泥は飛び抜けてスリルある遊びだった。
結構高い塀の上を走ったり、アパートの屋上に登ったり、
屋根づたいに家々を移動したり、2階から飛び降りたり、、、
生傷の絶えない毎日だったけど、
不思議とみんな絆創膏も貼らずに治っちゃう傷しか
できなかった気がする。

もちろん、その口には糸引き飴やどんぐり飴なんかが入っていたし、
(さながらハムスターのように頬袋が出来る子も居た)
ポケットには銀玉鉄砲やビックリマンシール、
自転車のカゴにはキン消しやガン消しが放り込まれていた。
また、御多分に漏れず、秘密基地もあった。
公園と隣接する廃屋や空き地に
それぞれのグループが住み分けて場所を共有していた。
いくら鉄条網が張り巡らされていようが、
立ち入り禁止の札があろうが、
それはある意味、子供にとっての約束手形。
大人が入って来れない、至上の空間なのだ。
(子供が近づかないのは「危険」と書かれていたところだけだ)
壁を登り、網の破れた隙間を縫って、僕らは空き地に侵入した。
でもそれらは、期限付きの居場所。
ある日、突然に工事が始まったりして、
頭では解っていたものの、
それでもものすごく淋しかったのを覚えている。
ひょっとしたら今でも、
あの場所の土の中には、
僕らが死ぬ程大事だった宝物達が、
ガチャガチャ(今はガシャポンというのか?)のカプセルに入って
埋まっているのかもしれない。

まぁ、小学生になると遊びはそれだけじゃなくなる。
自転車が登場すると行動範囲が一気に広がる。
高校生になった今よりも、
地元圏の裏道や小さな空き地を驚く程網羅していた。
すると当然、
自分の町だけではなく学区外までも足を伸ばしたくなる。
私達の地域では学区外には大人同伴って建前になっていたけど、
そんなものを律儀に守る子供は居なかった。
【遠征】なんて称して、新しい遊び場を求めて、
見ず知らずの土地を走り回ったもの。
道に迷って(もともと地図なんて見ないし)
門限に帰れないなんて事もしばしばあったけれど、
知らない町に行くことや、親に内緒で探索するってこと自体、
ワクワクしてた。
(まぁ、親にはどっかでボロがでて、知られてしまうものなんだけど)

バスでしか行けなかった、
学区外の給水塔にようやくたどり着いた夕景。
どう考えても門限に帰れず怒られるのがわかっていて、
途中で「もう帰ろう」と泣き出す子なんかも居て、
それでも「絶対行ける!」なんて意地になって。
夕日に染まったそのデッカイ給水塔を見たら、
なんだか急にみんな泣けてきた。
駄菓子屋で買ってきたスモモを食べた。
案の定、家ではコッテリ絞られたけれど、
誰一人、その偉業は口に出さなかった。

そんな中、
よその街で駄菓子屋を見つけたグループってのはヒーローだった。
なんだかよその街にも基地ができたっていうのかな。
そこを足場にして更に遠征の範囲を広げていった。
まぁ、よその町に行けば地元のテリトリーというか、
そういう対立もあったけど、それはそれで楽しかった。

私は、時代の変化に取り残されたような駄菓子屋が好きだ。
合成着色料バリバリの駄菓子や不衛生な雰囲気、
いかがわしさ100%の様々な玩具やガチャガチャ、
シンプルなメダルゲームや当てクジ、
そして、口うるさいけど子供のことなら何でも解る名物ババア。
これだけ揃ってなきゃ、駄菓子屋じゃない。
最近はそんな駄菓子屋の婆ちゃんが、
一人、二人と他界され、町の様子もすっかり様変わりしてしまった。
その頃の友達とも進路の関係で数人しか顔を合わせることもなくなり、
残り少なくなった駄菓子屋も、忘れ去られたようにさびれていった。
私達以上の年代にとっては、何とも寂しい話である。

学校に内緒で
【いずみや(俗称おちぱん)】に通っている人はわかると思うけど、
(中学・高校生目当ての近くの食料品屋「学校みせ」のことです)
最近の駄菓子屋ってのは、だいぶ様変わりしてきた。
店内は明るいし、駄菓子は衛生的な個別包装ばかり。
いかがわしい玩具は置いていなかったり、
賭要素のある当てクジを置かない店も増えた。
そして駄菓子の値段は、衛生と安全と引き替えに高騰した。
「安くて、量があって、そこそこおいしかった駄菓子」が、
「少しだけ安くて、量が少なくて、そこそこおいしい食べ物」
へと変に昇華してしまった。
それはもう“駄”菓子じゃない。
そんな菓子からは
やっぱりドロドロになって野外に遊ぶ子供は想像しにくい。
エアコンの効いたお家の中で
シコシコとPSに興じるお坊ちゃん達の、
アクセサリー程度に成り下がってしまった気がする。

そう言えば、公園もつまらない造りばかりになってきた。
昔よく見かけた、
土管のぶっといのがそのままドデンと置いてある光景や、
砂場付きの高鉄棒、グルグル回る球体のジャングルジムもどき。
一体ドコに行ってしまったのだろう。
最近はやたらと植裁の少ない明るい公園が増え、
やたらと足の着くブランコや、背の低い滑り台、
角の丸いゴムで被われた無難でちチャチな遊具ばかりが目立つ。
PTAの要望だかなんだか知らないけれど、
ちょっと過保護過ぎるというか、
これじゃあ対象年齢が低すぎて、
本当に遊び場を必要としている小学生が遊べやしないんじゃないかな?
それに加えて【ボール遊び禁止】などの制約、
老人や幼児が居ることは承知の上、それでも昔は共存していた。
別に場所を造るならまだしも、追い出すことはしないで欲しい。
ただでさえ、空き地や車の入ってこない路地裏などの公共空間が
極端に減って来ているのだから。
校庭やグラウンドでするだけが、遊びじゃないハズなんだけど。

それに、そんな「明るく安全な公園」はつまらない。
一見して危ないものや訳のわからないモノでも、
子供は無限の遊び方を考えつく。
想像力(創造力)は、
さりげないけどこういうところから培われていくってこと、
忘れてるんじゃないかな?
それに、子供には適度な陰影が必要なのだ。
秘密を隠す行為なくして、子供の遊びはあり得ない。
危険危険と、危ないモノを遠ざけるのは簡単だ。
でも本当に必要なのは、
危険と付き合う方法を教える事なんじゃないのかなぁ。
私達の頃は、
高鉄棒で飛行機飛び(いわゆるアクロバット)をやって、
飛距離を競争したり、
かくれんぼの時は木登りもした。
公園管理のおじさん達も文句は言わなかったし、
近所のおじさんやおばさんが誰かしら居て、
本当に危ないことだけは怒られた。
怪我なんてよっぽどの間抜けしかしなかったし、
しないようにお互いに危険は避けた。
いつから、こんなに殺風景になっちゃったんだろう。

親の言うことをきちんときく、
物静かな(小利口な?)子供が増えているようだけど、
なんだか、可哀想だなぁと思う。
遊び方知らな過ぎる。
駄々を捏ねたり、逃げ回ったりするぐらいが、
子供に本来あるべき活発さだろう。
スポーツなどの大人に作られたシロモノではなく、
疲れるまで「遊んだ」事のある子供って、
今、どれぐらいいるんだろう?

ここまで読み進んだ方は既にお気づきのことと思うが、
今回の題名は皮肉である。
時代に合わせて駄菓子屋も変化し続けているが、
私は、駄菓子屋だけは時間が止まっていて欲しかった。
私の考え方が懐古趣味なだけかもしれないが、
駄菓子屋には子供の無限の可能性があった。
教育があって、知恵があった。
いつも仲間がいて、夢があった。
何か泥臭くて汚かったけど、
だからこそ、好きだった。

現在の駄菓子屋横町には、まだ少し、昔の名残が残っている。
いかがわしい数字合わせや、あんこ玉、糸引き飴に水風船、、、
それでも、駄菓子や玩具は昔とだいぶ様変わりしてしまった。
いつのまにか、
私達の人気の上位を占めていた60円の王冠チェリオ(瓶)が、
100円のねじりキャップを経てペットボトルになった。
冷蔵庫の横の栓抜きでシュポン!って音が好きだったし、
器用な友人は歯で開けた。
それがないのは、味気ない。
コスモスの20円のガチャガチャや、
100円の真っ赤な玩具販売機が姿を消して、
変わって店頭にはゲーム機がおかれるようになった。

駄菓子屋はそもそも、
年金暮らしをしているようなお年寄りが、
子供や地域とのふれあいを求めて、
採算度外視で開いているものが多い。
1000円売って、儲けは100円〜200円。
万引きなんてやられた日には、即赤字。
それでも根気よく子供に色々と教えてくれた。
子供へのサービス精神は、もはやボランティアといえる程、
親切で適切だった。
他のどんな業種だって、
子供の心をここまでつかめる人は居ないだろう。
教師?塾講師?ちゃんちゃらおかしいねぇ。
そんな【純駄菓子屋】が少なくなって、
本当に、めっきり町が寂しく見えた。
そして、
子供の声が久しく絶えた、
ガラ空きの公園や、路地裏。
死んだように静まりかえる住宅地の遠くから、
テレビゲームの音が聞こえてきた。
『リアルは、どっちだ?』と、言わんばかりに。

不衛生なチョコカステラと、王冠の付いた王冠チェリオ。
自転車で我が物顔で走り回る野放図な小学生は、
もう絶滅してしまったのだろうか?

子供の未来が、心配である。

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<note>
初出:1995.01.14
某大学附属某高校図書室・図書館通信1994年度9号
ちょっといいですか?(第17回@)
「今、駄菓子屋が新しい!!」
引用:1997/07
大学講義【特別活動論】レポート
改稿:2003/05/28
   HP遊覧航路
<参考図書>
・松田道雄『駄菓子屋楽校』(2002年/新評論)
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・私は、遊べる時間が限られていたからこそ、
 その限られた光景が頭から離れない。
・たまに実家に帰り、
 自転車であれこれと「懐かしスポット」を回ってみると、
 そのほとんどが記憶の中だけの景色になって居ることに気付く。
 背丈が変われば、世界が変わる。
 時代が変われば、なおさらだ。
 当たり前のこと。でも悲しい。
・高校生ながらに書いたこの文章の原型は、
 社会人として社会教育を考える上で、
 貴重な土台となった。
・世の中が無くした大切なモノが、
 駄菓子屋には凝縮されているような気がする。
 入院中に読んだ『駄菓子屋楽校』(上記参考図書)は、
 そんな私の心情のど真ん中を貫いた。
 一ヶ月かけて、
 ゆっくりゆっくり線を引き引き読みながら、
 改めて、深くて懐かしい記憶が次々に思い出された。
・そんなわけで、
 文章量は原版の2倍強まで膨れあがりました。
 しかも、原版の文章自体にはほとんど手が入らず、
 行間に補足があれこれと挿入されたイメージ。
 言いたいことの核心は、
 やっぱり変わらないんだなぁと思ってみたり。