屈辱のクリスマス (地学部:極寒の冬合宿) 「寒い。誰か、誰か暖かい毛布を……。」 甲斐大泉という駅を御存知だろうか? 山梨県と長野県の県境、八ヶ岳の南麓高原に位置する、 JRで3番目に標高の高い駅である。 私は10年近く、毎年この地に天体観測に訪れている。 中学高校に所属していた地学部という部活の冬の合宿地が、 “何を勘違いしたのか”伝統的に極寒のこの地に選ばれていたのである。 そういう事情もあって、この地に訪れたのは圧倒的に冬が多い。 1989年12月、はじめての八ヶ岳は雪に覆われていた。 しかも、当時の地学部は財政的に厳しく、 テントは4張り、しかも4シーズン用のテントは1張りしかなかった。 さらに、 重い思いをして現地まで持っていったテント1張りが 黴のために再起不能であり (あらかじめ確認しておけよ)、 その点との予定者は 他のテントへと強制的に割り振られ・移住を余儀なくされた。 風が吹けばテントが唸りをあげ、 雪が降ればザックが雪原へと沈んだ。 加えて、「T松テント」という地学部史上最悪とまで呼ばれたテントが、 この合宿には人数合わせで投入されていた。 T松という自衛隊と光線銃が大好きな先輩の寄贈テントだったが、 テントというよりもタープに近い 1シーズン用の隙間だらけのテントだったのだ。 (とはいえ、夏に使う分には快適でよいテントなんですよ。) 4人用のテントの定員を超えた5人がひしめき合い、 (通常、テントの定員マイナス1人が丁度良いスペース) 熱気は蒸気となって対流を起こし、 テントの壁面で結露・さらには氷となって体にまとわりついた。 寝袋は繊維の半分が凍結してその機能を完全に失い、 靴はボーリングシューズのようにホールドを失って、 アイスバーンの道路を容赦なく滑った。 頭を熱湯で洗っても2分後には氷柱ができ、 バナナで釘が打ててもおかしくない状況の寒波がテントを襲った。 (凍ったバナナは腐った木のトーテムポールを破壊するぐらいの強度があり、 殴られると死ぬほど痛いことが発覚。これなら撲殺も可能と見た。) 死ぬ。 外の気温はマイナス13℃。 テントなんぞでしのげる温度ではない。 (しかも、頼みの綱のテントが前述の有様である) カードゲームの敗者は自販機までの遠い道のりを歩かねばならず、 それはまさしく敗者への仕打ちにふさわしい罰であり、 時に先輩はその絶大なる権力を理不尽に行使した。 「お前、ちょっとコンポタ会に行って来いよ。」 「いやぁああだぁあああ、、、、(とは言えない)」 何事もなかったように、 ぬくぬくとペンションで過ごした顧問が見回りにやってくる。 手に持つ土産はなんとケーキ。 そう、考えてみれば今日はクリスマスだ。 なんで僕はこんな所にいるのだろう。 なぜ、男だらけでクリスマスを過ごさなければならないんだろう? 走馬燈のように温かい料理が脳裏を走る。 どう考えても「あたたか〜い」とは言えない缶ポタージュをすすりながら 顧問の差し入れの箱を開けると、 切り分けられたショートケーキが入っている。 そして、顧問のにやけた顔に不自然な“何か”を感じつつ、 屈辱のクリスマスを吹き飛ばそうとケーキにかじりつくが……、 ………、堅い。 「いやぁ、玄関に置いといたら凍っちまってさぁ。」 …………………………。(殺意) ビエネッタ(エスキモーの登録商標)と化した バタークリームの濃いショートケーキは、 屈辱のクリスマスにぴったりな、 悲しく、 そして憎たらしいぐらいに甘いバニラの香りがした。 天頂近い北斗七星の傍らに、 死兆星が眩しいぐらいに輝いていた………。
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