▼井戸端ダァク談議▼                                     
第3回「死に至る病」

 婆ちゃんが、とうとうガスレンジの使用方法を忘れた。風呂の操作・電子レンジに続いて3つ目だ。それまで使えていた機械類の使用方法を、ある日突然に、忘れる。必死に思い出そうとしても、思い出せない。だから、必死に思い出そうと色々なボタンを片っ端から押してみる。……そして、色々なボタンを押してしまったことさえ、忘れる。
 “ボケ”の典型的な症状である。家に帰ったら台所から異様な匂いがするので、駆けつけてみたらガスレンジがつけっぱなしだったのだ。安全装置が働いて、生ガスが出ていなかっただけマシで、一歩間違っていれば火事や大事故になりかねないところだった。
 以前から、ボケの兆候はあった。蛇口の水が出しっぱなし、電子レンジの使い方を忘れてオーブンを作動させてしまう(弁当を暖めようとして、弁当箱のスチロールを200度で溶かしてしまった)など、次第に忘れる頻度が高くなり、忘れる事柄もだんだんと重要な物になってきた。もう、残念だが婆ちゃんに家事は任せられない。
 老人を扶養する家庭なら、どこでも多少なりとも似たような状況はあるだろう。“ボケ”は精神を蝕む病で、一歩間違うと本当に命を落としかねないし、私はそのように「心が衰弱していく」ことに耐え難い。心が死ねば、僕にとってはそれが死だと考える。「自分」が完全に無くなったとき、ヒトは何を考えるんだろうか?
 ともかく、どうして婆ちゃんはボケてしまったのか、そしてこれから婆ちゃんをどのように扱ったらよいのか。それが目下の所、我が家の最重要課題となった。今回は重苦しい話題となるが、人間いずれは通る道だ、突き詰めて考えてしまおうと思う。

 “ボケは耳から”と、世間ではよく言われる。御多分に漏れず、婆ちゃんも耳が遠い。2年ほど前に補聴器を購入したが、【未聴周波数検査】と言われる「どこの領域の音が聞き取りにくいのか」という検査を頑として受けず(自分は聞こえるつもりでいる。年寄りになるとだんだん意固地になるのはどうしてなのだろうか?)、結果、補聴器は無用の長物と化して久しい。耳に異物があるのも煩わしいようだ。
 確かに、耳が悪くなると周囲の会話が聞き取れなくなり、必然的に会話に参加できなくなる。そうなると断片的に聞こえてくる単語を元に自分の頭で話を想像するしかなくなるわけだが、頭が固くなった老人ともなると、その発想は一種の狂気や被害妄想が混じるようになる。結果、曲解は当たり前となり、こちら側の意図を正確に伝えるにはかなりの努力と時間を要するようになる。人間、はじめは丁寧に説明していても、3回・5回と訊き返されると語気がどうしても荒くなってしまう。そうなると、婆ちゃんは自分は「いわれのない差別」を受けていると、いささか被害妄想的に自分の殻に閉じこもってしまうのである。悪気なんて全然ないのに。
 自分の能力の衰えとプライドが交錯して、だんだん偏執的にひねくれた世界観を構築するようになる老人もいる。幸い、うちの婆ちゃんは今のところ精神はまともである。まともなだけに、「まだ、自分は何でも出来るんだ。」という偉大なる勘違いを産んでしまい、何かと自分でやりたがる。炊事・洗濯・掃除……。でも、それらはみんな婆ちゃんの歪んでしまった脳味噌が邪魔をして、厄介なことにどれもこれも見事なまでに中途半端なのである。五感と注意力の衰えた老人ならば致し方のない状況なのであろうが、やられる身ともなると、まさにありがた迷惑なのだ。かといって、そう邪険に扱ってしまうと自分の殻に益々籠もってボケが進行してしまう。悩み所である。
 例えば、洗濯で洗剤を入れ忘れ・皿は汚れが付いたままでしまわれ・水道の蛇口はひねられっぱなし……。結局、もう一度やり直しとなるだけ、色々と無駄も多くなる。しかし、一編にこういう作業をやらなくなると、する事が無くなってボケも進行すると言うし……。そもそも、うちの婆ちゃんは俗に言う“茶煎餅老人”(茶と煎餅だけで家から動かない老人のこと)なので、病院通い以外で家の外に出ることはなく、旅行や町内会も御無沙汰、電車の切符の買い方すら既に解らない。この趣味の薄さ・積極性の無さが、ボケに拍車をかける結果となっている。婆ちゃんは米寿を迎えた88歳。足腰は達者なのに、どうして出歩かないのか?今持って不思議である。
 
 婆ちゃんが、次第に色々なことを忘れてくると、ふと「自分も忘れられる日が来るんぢゃないか?」という漠然とした不安を抱えることがよくある。私の家には4年前まで1匹の犬を飼っていた。種類はポメラニアン、いわゆる座敷犬である。享年18歳、犬としては限りなく長寿の部類に入るこの犬の晩年は、ボケとの戦いだった。まず、「お手」や「おかわり」といったしつけの動作を忘れたのを始まりに、餌を食べたことを忘れ、家の場所を忘れ、最後には私の顔までも忘れてしまった。
 死ぬ1年ほど前、散歩から帰ってきても自分の家を通り過ぎるようになってから、ボケは加速度的に進行した。いつも何かに脅え、私達に脅え、吠え、噛みついた。既に歯は抜け落ち、噛む力はなかったものの、その脅える様は私達を当惑させた。
 それから1年のうちに、犬は2回、心臓の動きを止めた。その度に婆ちゃんは号泣し、父は心臓マッサージと人工呼吸(やれば、できるんですよ)を繰り返して、蘇生させた。今考えると、その時が潮時だったのかもしれない。悪戯に延命させたところで、幸せだったのかどうかは疑問だ。0歳児用のオムツを付け、眼は白内障でほとんど見えず、何かに脅えて暮らす毎日は、犬にとってどのようなものだったんだろうか?
 もしかしたら、それすら感じられないほどにボケは進行していたのかも知れない。3度目に心臓が止まったときには、既にカニミソ状の吐瀉物(いわゆる、死に糞)を排出していたこともあり、延命措置はとらなかった。欠伸をするように大きく息をして、そのまま息を引き取るという静かな最後だった。

ボケは、生活に張りのある人間はますかからないと言われる。アルツハイマーのような身体機能と関係ない次元の病気は別として、趣味を増やすなり、生活の生き甲斐となる何かを見つけないことには、これからの社会にボケ老人は増加の一途を辿るだろう。
 そしてボケは、周囲のみに迷惑をかける存在だと思われがちだが、自分にも相当な影響を及ぼす。例えば、病院通いの途中で転んで頭を打っても、救急隊員の質問に答えられないのでは応急処置も出来ない。下手をすれば死を招く重大な問題である。
 対処としては、まず生活に張りを持たせること。ボケさせる暇を与えないように脳に色々な刺激を与えることだ。脳は使えば使うほど活性化するが、逆に言えば使わなければ使わないほどに退化する。だから、ボケが起こるのだ。
 婆ちゃんには、話し相手が居ない。だから、考えることはテレビを眺めることと新聞を読むことぐらい。それも頭に残るのは1%にも満たない。既に情報は頭を通過するのみとなっているのである。地域の老人会に参加させようとしたが、それも徒労に終わった。次に、折り紙を折らせた。これも、飽きてしまったようで3日で止めた。現在、他に婆ちゃんが出来そうなことを探している毎日である。本当は、話し相手になるのが一番なのだが、私には相手をするに十分な時間がない。何より、老人と話すのは労力と忍耐が必要なのだ。

 忘却は人間に残された最後の自衛手段だとも言われる。そういった意味では、何もかも忘れてしまうのは、あるいは究極の幸福かも知れない。しかし、自分の意識を外れた忘却が果たして幸せなのか? という問に、私自身まだ答えを出せずにいる。
 緩慢な死を約束する“痴呆”。それがいつ自分の身に、あるいは両親に降り注ぐのか?笑いながら“アルツー!”と言うには、まだ心の整理が付いていないようだ。

<NOTE>*****************************
初出:1998/07/16 niftyパティオ「來來軒」
再掲:2001/02/22 HP遊覧航路                   
**********************************
・この文章に関しては、誤字以外の修正は行っていない。
・実家にいたときの文章で、
 この文章の後に、祖母のの生活はめまぐるしく変わった。
 兄が勤め人になって実家を離れ、
 両親は弁当屋を開き、朝から晩まで家に居なくなった。
 そして私も就職して家を出、
 日中は祖母だけが独り、ぽつねんと座る日常が始まった。
・この文章で大口を叩いて大仰な理想をのたまっていた私も、
 最後に祖母を見ていた責任を放り出し、
 事実上、見捨てる形で家を出た。
 親不孝者だと、
 実家に帰るたびに小さく萎んでゆく祖母を見るたびに思う。
 去年、祖母は足をくじいて杖をつき始めた。
 そして最近体を壊してしばらく寝込んでしまった。
・「帰ってこい」
 そんな両親の言葉を遮ってまで、
 会社に十分通える(むしろ今より近い)実家に帰らないのは、
 どんな理屈を並べたところで
 我が儘以外の何物でもないことは解っている。
 でも、それができない。
 ごめんよ、婆ちゃん。