▼井戸端ダァク談議▼
第2回「入院日記(後編)」(1998春)

 目が覚めたら、僕は個室のベッドに寝かされていた。
 看護婦さんが数人つきっきりで、何事かを僕に質問している。
 僕の口から自然と答えが紡ぎ出されているようだが、
 自分では何を言っているのか解らない。
 とにかく、妙に息苦しい。

 『もう、手術は終わったの?』
 虚ろな眼差しのまま、
 僕は側で何事かを話しかけてくる両親の言葉を遮った。
 「あれ? ひょっとしてお前、今、意識が戻ったのか?」
 『うん。で、今は何時なの?』
 「手術が終わって2時間ぐらいかしら。
  麻酔が効いてたみたいなのに、
  さっきっからずっと喋ってたわよ、あんた。」
 『何て?』
 「アイス食べたいって。(笑)」
 「どこまでお前は食い意地が張ってるんだか、全く。」
 『んなこと言われたって、俺は今、目が覚めたばっかりだっつーの。』
 (通常、一人称は「俺」です。一応。)
 と、親父に突っ込もうとして、
 自分の両手がベットに縛りつけられていることを知った。
 改めて自分の状態をよく見てみると、
 右手には点滴、左手には腕に血圧計と指に心拍計+モニター、
 (ピコーン・ピコーンって緑の線が出てるヤツ)
 口の中には吸淡管、
 鼻には酸素マスク(シュコー・シュコーってやつ)、
 胸には心電図の電極が4つ張り付いているし、
 右足には生暖かい妙な管が巻き付いている。
 (後に、これが尿道カテーテルの管と判明)
 そして、髪には手術用の紙キャップ。
 ずいぶんと重装備だのぅ。と、1人で面白くなった僕は、
 『俺って、サイバー?』
 などと、気が付いたら訳の分からないことを口にしていた。
 「ダメだコイツ、まだ夢ん中だ。」
 と呆れる両親を前に、
 『しっかりしてるってば!』
 と、ささやかな抵抗を試みたのだった。

 だんだんと、麻酔が覚めてくる。
 両親は
 「痛くないのか? 仰向けに寝てて?」
 などと訊いてくる。
 確か、僕って背中を切ったんだよなぁ。
 うーむ。(痛いかどうか考えている。)
 『痛くないよー。全然。
  痛いって言えば、腹筋と胸筋が痛いかな。
  なんか、筋肉痛みたいな痛みだよ。』
 「ああ、
  ずっと小さな台を丸く抱えた格好で手術してたからねぇ。
  ちょっと、湿布を貼ってみましょうか?」と、看護婦。
 付添の看護婦さんが、湿布を貼ってくれた。
 冷たくて気持ちがいい。
 『それよりさぁ、何で俺、ベットに縛り付けられてるの?』
 「お前が、自分でやってくれって頼んだんじゃないか。
  覚えてないのか?」
 『全然。』
 「全身に針とか管とかが刺さってるから、
  無意識に抜いちまう可能性があるんだと。
  で、縛ってもいいかって訊いたら、
  【その方が良いですね】って。
  お前、本当に意識あるのか? 」
 『あるってば。
  なんか、尿道の辺りが妙な感じなんだけど、
  これって例の【尿道カテーテル】ってやつ?
  なんか、
  自分の意志とは関係なく、
  たれ流してるような気がするんだけど。
  足の辺りの管も、妙に生暖かいし。』
 「そういうもんですよ。最初は変な感じですけど、
  慣れれば楽になると思いますよ。
  はじめは排泄のことを考えないで、
  薬で寝ている方が治りが早いですからね。」
 とか何とか言いながら、
 手早く看護婦さんは僕の右の太股に麻酔を打った。

 しばらくして目が覚めると、
 吸淡管と点滴が取り除かれていた。
 『今、何時?』
 「真夜中。どう? 痛む?」
 『筋肉痛だけ、ね。背中は痛くないよ。』
 「じゃあ、とりあえずもう大丈夫ね。
  血圧計と心拍計、心電図の電極も取っちゃいましょう。
  酸素マスクは、
  あった方が楽そうですから、付けときますね。」
 とか何とか喋っているうちに、
 看護婦さんはまた、僕の左太股に麻酔を打った。
 どうやら、この看護婦さんは僕を寝かせるために居るらしい。

 次に目が覚めたら、もう次の日(17日)の昼だった。
 手足が動かないまま寝るというのは、かなり辛い。
 寝返りが打てず、寝違えて肩や首がやたらに痛む。
 「痛みますか?」
 顔をしかめている僕に、
 優しく看護婦さんが話しかけてくる。
 『体が動かないので、関節が痛いんです。』
 「じゃあ、手足も自由にしましょうか?
  ついでに、酸素マスクも取っちゃいましょう。
  もう麻酔も打たないから、
  あってもなくても一緒ですからね。」
 『お願いします。
  どうも水蒸気で鼻がムズムズしてしょうがなくて。(笑)』
 両手を縛っていたタオルがほどかれる。やっと自由だ。
 (こんなことじゃあ、
  とてもじゃないけどSMなんて出来ないよなぁ〜)
 などと、日常生活とは接点のないことばかりが浮かんでくる。
 昨晩から非常に気になっていた【尿道カテーテル】が、
 どんな状態になっているのかを確かめてみる。
 とは言っても、
 上体は15度以上起こしてはいけないことになっているそうで、
 (背中が丸まって傷口の引き攣れを起こすから)
 手探りでその辺りをいじってみるだけである。
 実際に目では見えない。
 『オ・オムツ? (T_T)』
 そう、老人用のオムツ(サルバDパンツ)でガードされ、
 局部の先っちょはテープでぐるぐる巻きにされて、
 そこから細っこい管が伸びていた。
 感覚で言うと、結構奥まで刺さってる気がする。
 でもこういう管って、
 面白いことに、一度入ってしまうと意外に気にならない程度になる。
 (胃洗浄の管も、
  一度入ってしまうと
  「そこにあるなぁ、管。」ぐらいの感覚なのだ。)
 確かに、尿も楽だ。
 『ダメだ、こんな物に頼るなんて。
  勝ち負けで言うところの、【負け】ぢゃないか!』
 でも楽なので、看護婦さんに言って、
 これだけは取らないでおいてくれるように頼む。
 (ちょっぴりだけ、
  【抜くと痛いぞぉ〜】っていう皆さんの書き込みにビビって、
  抜くのが怖いので先送りにしてもらったというのも
  理由にありますけどね。(^^ゞ)
 
 そしてこの日から、2分粥の食事。
 食欲が無く、半分だけ食べる。

 翌18日。とうとうこの日が来た。
 「いつまでのこんな物付けててもしょうがないから、
  抜きますよ!」
 という高らかな宣言の後、
 カテーテルに看護婦さんの手が掛かる。
 徐々にテープがひっぺがされ、
 萎縮した局部に容赦なく手が伸びる。
 ブチンッ!
 『……………痛くない!』
 音の割には意外なほどあっけなく、
 カテーテルは僕の体から抜けました。
 (僕って、尿道が太いのかなぁ?)
 『勝った!』
 だが、この先には更に過酷な試練が待ちかまえていた。
 『し、尿瓶(しびん)ですかい? (T_T)』
 「そう。
  君はまだ、ベッドから起きあがっちゃダメだからね。
  尿瓶と御丸は必要でしょ。
  御丸の時は、介助婦さんを呼んでね。」
 『呼んでねって言われても……。』

 そして、尿意が来た。
 『なんでぇ〜! 絶対にヘンだって!
  布団の中で小便するなんて!
  気持ち悪くって、出ねぇよぉ〜〜。
  ポチ(介助婦呼び出しボタン)』
 「呼びました?」
 『すいません、電気を消してもらえます?
  集中できなくて……。(^^ゞ』
 「出ないのぉ〜?
  最初はそうね。そのうち慣れるわよ。」
 で、限界までガマンした後の放尿。
 気持ちがいいんだか悪いんだか……。

 更に夜中。突然の便意。
 『すいませ〜ん。
  お通じ(照れてる)が出そうなんですがぁ〜。』
 「便器?(東南アジア系の人なので、うまく日本語が通じない)」
 『はい。(照れまくり。せめて男の人にしてくれぇ〜と心で叫ぶ)』
 手術衣をひんむかれ、
 オムツもはぎ取られ、
 あられもない姿にされる。(T_T)ナミダ
 で、御丸が局部にあてがわれ、布団が掛けられる。
 ベットは30度までしか起こせない。寝たままの排便だ。
 『どないせ〜っちゅーんだよぉ!』
 そんな状態で出るわけがない。
 何度か気張るが、結局は出ない。
 どうしても引っ込んでしまう。
 なんだかんだ言っても、
 人間は割とデリケートに出来ているようだ。

 翌朝。そんな切ないガマンも限界に達した。
 (御飯は3食きちんと食べているわけだから、当然と言えば当然か。)
 『すいませぇ〜ん。お通じぃ〜。』
 が、ここでとんでもないことがおこる。
 『にょ、尿〜〜!!!!』
 そう、便をすれば尿も出そうになるのだ。
 しかし、
 【便の穴は下向き、尿の管は上向き】である。
 寝ている体勢では、ちょっと無理がある。
 『ヘルプミー!!(>_<)/』
 「一緒に御丸にしたらいーっしょ?」
 んなこと言ったってぇ〜。
 僕は男なんだからさぁ〜。
 アナタとは基本的肉体構造が違うのおぉ〜〜!!!
 冷や汗が背中に伝う。最早、一刻の猶予もない。
 『便よ、漏れるなよ!』
 自分の直腸に言い聞かせ、一旦は御丸を離脱。
 尿瓶に差し替えて放尿。
 そして、出きったのを確認してから大便。
 『間にあったぁ〜〜。』
 この時僕は完全に、
 ヘルニアという病気に言いしれぬ敗北感を感じていた。
 しばらくは、便意が来る前に尿意を催すよう、
 お茶を飲んだりしてサイクルを変えることが最重要課題となった。

 その後何日か経ってベッドアップが45度以上になると、
 角度的にどうにか尿瓶と御丸の【複合技】を使えるようになる。
 確かに、飛躍的に排便に対する驚異が激減するが、
 同時に、
 《こんな事に慣れちゃってどうするんだよぅ》
 という敗北感が、僕の中で支配的になってくる。
 はじめのうちは、
 介助婦さんや看護婦さんにお尻を拭いて貰うことに、
 かなりの抵抗があったのに……。
 慣れという物は人をダメにするようだ。(T_T)

 相変わらず食事は粥だが、すこしづつ食欲が出てくる。
 はじめのうちこそ、
 誰かに食べさせて貰わないと食べられない状態だったが、
 (ベットの角度的に、寝たままでは自力で食べられない。)
 ここにきてなんとか、自力で食べられるようになってくる。
 それでも、入院生活は甘くない。
 『何で、なんで今日は【うどん】なのぉ!?』
 上体を起こしちゃいけないっていうのに、
 どうやって汁物を食えというのだ。
 しかし、介助婦も付添人(母)も居ない。
 仕方がないので、まずはストローで汁を全部のみ、
 そのあとで、
 伸びきった麺をちゅるちゅると食べるハメに……。
 『がおぉー! こんなもん食えるかぁ〜!!!』
 と、ベットの上の作業台をひっくり返す勢いの僕に、
 「ちゃんと食べられたじゃない。偉い・偉い。」
 と、まるで意に介せず食器を片付ける看護婦さん。
 そりゃぁ、お腹へってるもん。
 食べなきゃ元気でないもん。
 ちぇ。( ..)ヾイジイジ

 移動できるようになるまでは、個室にいた。
 ということは、
 夜遅くまでテレビを見ていようが、
 和泉から強奪(病院まで持ってこさせた)した
 ゲームボーイをやっていようが、自由であった。
 痛みがひどくなったら睡眠薬を飲めばいいし、
 (数錠ちょろまかして家に持ち帰ったが)
 MDも小説も腐るほどあった。
 いろんな人が見舞いにも来てくれました。
 同級生・後輩・ネットのお友達も。
 みんな手に手に甘味を持って来てくれたおかげで、
 入院しているのに太るという珍しい体験をしました。(笑)
 それと、某後輩達がなかなか見舞いから帰らず(4時間)、
 尿意を我慢しきれずに退室を願った場面もありました。
 なにせ、尿瓶です。
 人前では、ちょっと、ねぇ。
 っていうか、気付けよ。


 しかも、出してる途中(退室して30秒と経っていない)で
 「入るぞぉ〜」と脅したバウ。貴様は重罪だ。


 そして23日。
 「立って、歩いてみていいですよぉ。」
 『えっ!
  だって昨日まではベットで起きあがってもいけなかったのに。』
 ひどいことに、
 僕の執刀医は週に1回しか診察に来ない先生で、
 主治医は別の先生となっていた。
 しかもなんと、この病院でヘルニアは前例がないらしく、
 他の先生から看護婦まで、だれも治療法が解らないのだった。
 だから、執刀医の先生が来るまで、
 ずっと1週間は治療が進まないため
 (もうちょっと先生同士で連絡取ってくれっつーの)、
 突然に治療が変わるのも珍しくなかった。


 立ってみる。
 というよりも、まずはベッドから起きてみる。
 いままで寝返りすら許されない状態だったので、
 起きるだけで目が回り、吐き気を催す。
 世界がグルグルまわっている感じだ。
 どうやら、脳味噌の水準器が固定されてしまったらしい。
 もともと酒にも乗り物酔いにもそこそこ強い僕なので、
 こんなに気持ち悪くなったことは生涯通しても数えるほどしかない。
 それでも今は、
 更に立って歩いてみなければならないのだ。


 正直言って、怖いと感じた。
 歩いてみても、足下がおぼつかないどころか、
 脳が揺れている。世界がまわる。
 部屋の中だけを歩いてみて、すぐに疲れてベッドに座るが、
 それでも、地球や世界がまわっている。
 「ちょっと今日一日は変な感じですけど、徐々に慣れますから。」
 昼食が運ばれてくる。
 はじめて、見下ろす感じで食器を見ることに感動を覚えるが、
 食欲は無いに等しい。
 『今食ったら、カクジツに吐くよぉ〜。』
 でも、食べなきゃ体力も付かないし……。
 頑張って全部食べる。そして、寝る。


 夕方、歩行訓練を再開。
 だいぶ吐き気もおさまっているが、筋力が落ちているので辛い。
 歩き回ったら腹が減ったので(爆笑)、
 確か冷蔵庫に入っているはずの
 【蒟蒻畑】(密輸品)を取りに行く。
 冷蔵庫の戸を開けてみると、
 よりによって、一番下の段に入っている。
 『んーこらせっと。』
 前屈みにはまだなれないので、
 ゆっくりとしゃがんでみる、が、
 『れ、れれっ!?』
 足が、ヒザが、ペタンとくっついたまま力が入らない!
 『ちょっと待ってくれよぉ、オイ、動けっつーの!!』
 蝶番が閉じたように、うんともすんとも動かない。
 (介助婦さんを呼ぶか? 
  いや、蒟蒻畑を握りしめたままでは呼べない。
  恥ずかしすぎる!)
 『考えろぉ〜、どうすれば立てる?』
 ピン!(ひらめいた音)
 ガラガラガラ……。
 点滴の吊し棒を引き寄せ、それに捕まって立ち上がる。
 なんとかベッドまで戻ることが出来たが、
 『人間って、1週間寝ただけで、筋力が落ちるんだな。』
 そう思うと怖くなった。
 寝返りをうたないで寝ているだけで脳味噌の働きは鈍るし、
 筋肉も相当落ちる。
 排便にさえなれてしまえば、
 お年寄りが寝たきりになるのは驚くほど簡単なんだ。
 そう考えれば考えるほど、怖かった。
 『ばあちゃんには、運動させないとなぁ。』
 これほどハッキリと、老化を意識したことがなかった。
 (みなさんも、寝たきりにならないためには運動が一番です。
  お年寄りのいらっしゃる方々、散歩を薦めましょう。)


 歩けるようになれば、排泄だってトイレで出来る。
 もう、あれらの物に頼らなくて済んだと思うと、
 【ヘルニアに勝った】と心から思った。


 そして2日後の25日。
 「抜糸しますよぉ〜。」
 『ところで、俺って何針縫ったんですか?』
 「うーん、いちいち数えてないなぁ。
  細かく縫ったらいっぱいだし、
  荒く縫えば少ないしのー。」
 そんな、いい加減な……。
 『大雑把には、どれぐらいですか?』
 「いっぱい。でも、予定の倍は縫ったね。」
 『えっ? どうしてですか?』
 「患部は4・5番だったけど、
  気になったから2・3番も見せて貰ったよ。
  はっはっは!」
 風呂が許可になった後、傷口の長さを測ってみた。
 11センチ切られてた……。(予定の倍以上だ)
 今もかなりヤクザな傷が背中に残っています。
 温泉行くと、初めての人はビックリしたりしますね。


 『でもまぁ、不安が残らないだけマシだよな。』
 歩き始めれば早いもので、
 食欲は増すは、話もしたくなるはで、
 もう病院じゅう歩き回るし、食料は密輸するし、
 夜遅くまで長電話するし、
 (僕は消化器系の患者ではないので食事制限はないから大丈夫なの)
 好き放題やってました。


 そんなこんながありまして、
 それから約1週間後の3月3日、入院期間は19日間、
 予定よりも1週間以上早く、退院することが出来ました。
 その間、多数の人に遊びに来ていただき、
 レスにも、メールにも励ましの書き込みを頂き、
 本当に嬉しかったです。
 根がさびしんぼなだけに、心に染みました。


 これからもどうぞ、宜しくお願い致しますなのだ。
                                       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<note>                           
初出:1998.03.05 niftyserveパティオBNW(books network)
改稿:1998.06.13 niftyserveパティオ樹里庵’
今回はこれを追記・改稿しました。


馬鹿ですねぇ。我ながら。(^^ゞ
入院中があまりにも暇なので、
フィールドノート(野外実習用の耐水手帳)に、
事細かに日記を付けていました。
それこそ、
テレビのヒトコマやら、三食後の体温やら、
果ては尿便の回数まで……。


今回、文章に手直しをしながら、
当時の日記とネット上仲間のメール・レスポンスを
熟読しました。
入院中って、結構ダァクな気分になることが多くて、
色々と悩んでしまったりもしました。
だから、
ほんの些細な「馬鹿なこと」を考えて、
気を紛らわせていたんですね。
だから、突然「尿瓶の絵」がでてきちゃったり。(爆)
手術後は記憶を総動員して日記に再現してありました。
麻酔で3日間寝かされ・手足を縛られていたのですが、
「絶対に記憶につけといてやる〜」と言う根性から、
拙い絵で自分の重装備な状態を描いたイラストが残っています。


そして、来てくれた方々への感謝、
今考えてみると気恥ずかしいほど、
来てくれた方々への謝辞が綴られていました。
言葉では、どうしても気恥ずかしくて言えなかったからでしょうね。


今読んでみても、
性格、変わってねぇなぁ〜なんて、思います。
「露悪趣味、ここに極まり?」みたいな、ね。                                                         まぁ、軽く笑っていただけたのなら、幸いです。


                 2000.09.20 恩田雅彦


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