ほぼ月間webちょっ?

第14号:2005/04/17

目次
 @冒険者たち
 A古老


@冒険者たち

 「さて、次はお前の番だ。どんな話を聞かせてくれるのかい?」
 たった今、話を終えた者が次を促す。
 
 焚き火に薪が足され、パチパチと火が爆ぜる。
 「まぁ、景気づけに一杯。」
 と、話し手のシェラカップに琥珀色の酒が注がれ、
 良く磨かれたカップには、焚き火に照らされた面々の顔が写り込む。
 その瞳は真っ直ぐ話し手に向き、
 話し手は少しの高揚感をおぼえながら、
 カップの酒を煽る。

 「じゃあ俺は、洞窟の話でもしようか。」
 話し手は、身振り、手振りを加えながら、
 自らの冒険譚をひとしきり、語る。
 それらは登山、洞窟、海洋、旅、そして奇譚と、多岐に渡り、
 矮小な事実に多大なる脚色を加えて、語られる。
 飛び抜けた非日常が焚き火の側にはよく似合い、
 話の内容が事実か否かよりも、
 その語り口の巧拙こそが焚き火の雰囲気を左右する。 
 そう、熟練のタキビストは、話がとても巧い。
 
 この文章を御覧の皆様は、
 人に語れるだけの冒険譚・探険譚をお持ちだろうか?
 完全なる非日常の中で感じたことを、
 ありのままの言葉で紡げるだろうか。

 僕らが子供の頃に夢見た冒険譚。
 「探検」と「探険」と「冒険」、 
 僕らにできるのは、せいぜい探険までかもしれない。
 それでもいい。
 探険をしよう、探検をしよう。
 過保護に安全な日常から離れるために。
 そして時には焚き火に集まり、
 小さな勲章を手に、酒を飲もう。

 そして今日も誰かが口火を切る。
 「今回の話は、ちょっと凄いぜ。」
 今宵ひとときの浪漫を、焚き火と酒にのせて。


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A古老

 奥多摩の山奥に佇む、1人の古老。
 千幾百の年月を、
 たった1人で見続けてきた、巨樹の古老。
 
 修験者が暮らした鎌倉の昔から、
 江戸の箸業、明治の林業、昭和の鉱業と、
 村の盛衰を見届け、
 平成の廃村に、たった1人でその尾根を守る、檜の古老。
 
 いつの頃からか、
 私はこの古老に会いに出掛けるようになって久しい。
 私は寄り添うように佇んでみる。

 時に歌を、
 時に言葉を、
 時に楽曲を交わしつつ。

 大きく張り出したその根に座り、
 周囲に従えたような木々から、
 ドングリの落ちる音を聞きながら。

 涼やかで暖かいその幹に触れ、
 枝に乾杯をして水を飲む。
 なんだろう、
 ここにくると、真っ当に生きようといつも思う。
 天に向かって真っ直ぐに伸びる古老に向かうと、
 自然と、そう思う。
 
 そしてスッキリした顔で、山を下りる。
 次に会いに来るのは何年後だろう。

 願わくば、
 それまで私が真っ当に生きていられますように。
 
 お元気で。


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<note>
・「冒険者たち」
 地学部(中高)→地理学科(大学)と渡り歩いた関係で、
 私の周りにはかなりの数の冒険家、探険家がいます。
 洞窟絡みでは、フィリピンで新しい洞窟を発見してきたり、
 フランスに行って、
 垂直移動距離にして日本人最高をマークした友人も居ます。
 氷河地形の研究で北極圏に出掛けた人なんかと話す機会もありました。
 それらの人の何が特別か、ということではなくて、
 実際には結構普通なんですよね。
・また、普通に登山やクライミング、
 それから、辺境旅なんかをやってきた友人が多く居るんですが、
 これまた珍騒動を語り出したら止まりません、
・これらの人の話は、日常的な酒の席では十分に引き出されないんです。
 場面に「焚き火」という非日常の舞台装置を揃えて始めて、
 話が生き生きと語り出す。
 経験の重さは、聴く者をグイグイと引き込む魅力があり、
 夜が更けるほどに、酒が回るほどに、
 どんどん熱く、深くなっていく。
 そんな感覚が、私は好きなんですね。
 私なんぞはせいぜい「探検家」レベル。
 先人、そして上記の人達への敬意を表して、
 今回の題名は「冒険家たち」になった、というわけです。
・「古老」
 自然と対峙する。
 そんなことがなかなか出来なくなってきました。
 単純に、
 人としての生よりも長く生き続ける巨樹には、
 なにがしかの力を感じる気がします。
 本当に気まぐれで、ごくごくたまに、ここに訪れては、
 ほんの少し、詩歌や曲を(一方的に)プレゼントしてきます。
 なんとなく、
 感情を表した方が伝わる気がするんですよね。
 そんなわけで、お気に入りの場所の1つであります。