ほぼ月間webちょっ?

第13号:2005/03/06

目次
 @お気に入りを育てる
 A人と話す


@お気に入りを育てる

 「行きつけの店はありますか?」
 なんだかちょっと憧れる、
 居心地の良い、自分だけの空気を持ち、
 さりげなくちょっと趣味の話ができる。
 そんなお店。
 
 そんなお店を持てるのは、
 なんとなくそれなりの知識を持った、
 いっぱしの大人の嗜みのように、思う。

 「行きつけのお店」は、一朝一夕で持てるものではない。
 通って、通って、
 少しずつ(そう、少しずつ。)顔を売っていかなくてはならない。

 焦っては、いけない。
 店と客との信頼関係は、それなりの駆け引きと時間が要る。
 そこを疎かにして店に疎まれては、
 何もかもが台無しになる。
 節度をもって礼と為す。
 それはまぎれもない、大人の作法だろう。

 そしてもう一つ、重要なこと。
 「店を育てる意識を持つ」ということ。

 それはきちんと、
 お金を落として、店に貢献すること。
 店を「育てる」のは、客である。
 たった1人の客に過ぎないとしても、
 出来ることなどたくさんある。

 店にある物は余所で買わない。
 例えその店が、若干高かったとしても。
 取り寄せられる品物ならば、注文をする。
 近くを通ったなら、素通りしないで立ち寄る。
 立ち寄って言葉を交わしたなら、きちんとお金を落とす。
 
 本屋然り、雑貨屋然り、
 なにかと「はじめから揃っている店」に、足が向きがちだ。
 しかし、
 地元の小さな店に、
 自分の好みをどれだけ揃えられるか。
 そうやって店を育てていくのも、また一つの楽しさがある。

 損得の駆け引きをしたり、
 常連の顔を使ってなにがしかの特権を得ようとするのは、
 帰って野暮。
 自分が店に行うのは投資、
 店を育てていると考えながら、
 もっと大きな気持ちで構えたい。
 
 好きだから、育てる。
 だから、気持ちよく買う。
 それが、お馴染みさんの作法。
 じっくり育てて、自分の好みの店が出来上がったなら、
 それから店が続く限り、
 ずっとずっと楽しめる、お気に入りの場所になる。

 お金の有る無しの問題は超えて、
 それでも通う店が一つぐらい有るなら、
 人生きっと、楽しいと思うな。

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A人と話す

 私は、電話魔。
 2時間、3時間の通話は、ザラ。
 しかし、それが本当に実りのない時間かというと、
 それは違う。


 人の意識によって様々だけれど、
 私の友人達は、
 「一つの会話で一つ以上の知識を得る」
 ということを意識・無意識問わずに実践している人が多い。
 そのため、
 そのような一つの電話の中で、得られる事柄はとても大きいのだ。
 
 また、
 自分が頭の中で漠然と考えていたことを話してみる、というのも手だ。
 「人に伝える」というのは、
 それなりに頭の整理を付けないと話しにくいもので、
 相手に聴いて貰おうと努力すればするほど、
 自分の頭の中で考えが一つにまとまっていく。
 これが、文章を書く身としては非常に都合が良い。
 
 一人より二人、
 それも意識の近い人が話す電話の内容は、とても濃い。
 話が早く通じる上に、考え方に枝葉が加わる。
 だから私は、長電話を止められない。
 
 この考え方は、大学の時の教育学の先生の影響が強いのだけれど、
 考えて「面白いな」と思ったことは、
 まず友達に話してみる。
 本の内容でも、ニュースの内容でも、自己哲学の内容でも、そう。
 何にも考えず、とにかくひたすら話している内に、
 その考え方がすこしずつ、自分の身に付いていくんだと。
 人に話せない内は、自分で消化された考え方じゃないと、
 耳にタコができるぐらい聞かされた。
 
 経験的に、確かにそうだと思う。
 
 そういう話をし合える友達を持てることが、
 とても幸せだと、思う。
 
 そして、
 今日も夜更けに毛布にくるまり、
 延々と長話が続くのだ。
 


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<note>
・「お気に入りを育てる」
 実際のお店もそうですが、
 ネットの世界でもそれは同じです。
 面白いと思ったら、きちんとTOPページから入って、
 カウンターを回してあげる。
 そして、メールを打つなり、書き込みをするなりしながら、
 すこしずつ顔を繋いでいく。
 、、、そう偉そうなことを言いながら、
 実はそういうマメなことが凄く苦手です。
 急いで結果を得ようとするのは良くないことだと思うのですが、
 どうも根がせっかちなのか、
 はたまた、飽き性なのか、
 集中して通い詰めては、育てる前に熱が冷めてしまうこともしばしば。  
 大人の嗜みにはほど遠いものです。
・とは言え、殊に本屋に関しては、
 きちんと通い詰めているお店があります。
 前の職場、ということもあり、
 少なからずの特権が存在しますが、、、
 遠くても必ず、そこに買いに行って居ますし、
 行けば必ず、少ない給与の中から万札を献上してきます。
 特権だけにあぐらをかくのではなくて、
 好きだからこそ、繁盛して欲しいから。
・大袈裟な話、
 そういう趣味人の行いが広がれば、
 ちょっとは景気も良くなるんじゃないかと思います。
 (株や私募債の考え方の根っこって、
  こうであって欲しいと思うし。)
 大きな店だけが生き残るのではなくて、
 中小のお店が活気づいて始めて、
 地域経済が潤うのではないかと。
 もちろん、趣味人の行いは、マニア行為とは一線を画します。
 それは、熱量を低くもち、
 自己主張を極力抑えるということでも、
 ハッキリと違いがわかると思います。  
あくまでも意識は自分の内に秘めて、
 じっくり育てる度量の広さ。
 できればほんとに、格好良い生き方だと思うのです。
・「人と話す」
 愚痴と話は別物。
きちんと話題を持って話せるかどうかで、
 電話のポテンシャルも大きく変わる。
もちろん、私も「嘆きの壁」をよく必要とするので、
 友人の愚痴を聞くことはお互い様で、嫌いじゃない。
 ただ、
 もし自分のモチベーションが高かったなら、
 たまにはそういうクリエイティブな話をするのも
 良いんじゃないかと思う。
 もっとも、この「クリエイティブな関係」というのも、
 本文に登場した教育学の先生の受け売りだけど。。。
・今回のwebちょっ?は、
 2本共、つい最近の電話の内容からの収録です。
 今回の文章を考えてみて、
 改めて電話口に雑記帳を置こうかどうか検討しています。
 もし、電話中の内容を事細かに覚えていたのなら、
 きっともうちょっとマシな文章が書けただろうにと。
・さて、
 webちょっ?も、実に1年半ぶりの更新となりました。
 再開一発目ということもあって、
 まだまだ荒削りな感じですが、
 推敲もそこそこに、今回は掲載してしまいました。
 まずは書いてみること。
 そこから始めないと、何も出来なくなりそうだから。