ほぼ月間webちょっ?

第8号:2002/08/23

目次
 @湿気ったマッチ
 A熱烈歓迎御師匠様


@湿気ったマッチ

 キャンプに出掛けて雨が降る。
 一般的に言えば、結構な不運だ。
 楽しみにしていた野外料理は水浸しだし、
 狭いロッジや車に押し込まれて雨が止むのを待つのも閉口する。
 口を開けば、帰ろうかなんて話になり、
 そうなるともう、心の中はツマラナイ思いで押しつぶされる。
 一旦、場が湿った低気圧のような雰囲気に陥ると、まず回復は難しい。
 あっという間に散会が決定し、
 悪い後味を残して散り散りに去っていく。


 消化不良で散会するキャンプほど、
 尾を引く後味の悪さというのも珍しい。
 「あん時はつまらなかったなぁ〜」
 などと時を経て蒸し返されるのも、
 少しチクリと、胸に刺さる痛みがある。
 
 とまぁ、そんなこんなを繰り返すうちに、
 「どうせなら、雨だって楽しんじゃおうよ。」
 という豪傑ばかりが周りに集まるようになった。
 雨が降ればブルーシートを木々の合間に広げ、
 もしくはカッパを着込んでまで、
 ガンガンに焚き火を続ける様は、見ていて本当に頼もしい。(笑)


 眼下の渓谷が濁流に変わろうが、
 「なんだか、警報があれこれ出ているみたいだな。」
 などと言いながら、
 雨が打ちつける鉄板で平然と肉を【煮る】友人を見るにつけ、
 「あ、それまだ生焼け。」
 などと冷静に突っ込んでいる自分も居たりする。
 まぁ、類友というやつだ。


 雨を理由に帰る人を責めるつもりはないし、
 ぬるいキャンプだと玄人面する気も全然ない。
 だってそんなの好き好き、でしょ?
 でも、勿体ないよなぁ〜って、
 正直ちょっと、いや、結構な割合で思います。
 もちろん、そりゃあ程度によるけれど。
 個人的にはこういう非常識体験の方が断然面白い。


 雨のキャンプも案外良いもの。特に夏はね。
 ある程度の開き直りさえできる余裕があれば、
 ちょっとしたきっかけで、あっという間に面白さが爆発する。


 「マッチが湿気って使い物にならないよ。」
 じゃあ、ガスバーナーを使ってみよう。
 「薪も湿気っててなかなか火がつかないよ。」
 じゃあ、とにかく雨よけつくって種火をつけよう。
 「竈の土台に水流が!」
 じゃあ、焚き火の下に溝を掘って、溝の上に薪を渡そう。
 あれやってこれやって、それでもダメで、じゃあこうやって。
 みんなで試行錯誤しながら雨と戦ってみる。
 タキビストの腕の見せ所がてんこ盛りだ。


 結構な時間が掛かったって、
 雨にも負けない焚き火が出来たら、
 なんだかちょっとだけ自然に勝ったような気がする。
 みんな雨まみれの泥まみれ、汗まみれの灰まみれ、
 きったない顔になりながら飲む麦酒の美味いこと美味いこと。
 不運を呪って大人しくテントに籠もっていたって、
 こんな美酒はぜーったいに味わえっこない。


 雨に打たれて寒くなったら、やっぱり焚き火が有り難い。
 夏の雨なんてプールみたいなもんで、
 浴びるぐらいが気持ちよいこともある。
 服のままだって、焚き火の側ならそのうち乾く。
 帰る頃には、それはそれは凄い臭いに化けるけど?
 いやいや何を、それがまたいいんじゃありませんか。
 
 おおい。
 キャンプをやろうぜ。ハードなヤツを。
 雨天決行むしろ歓迎。
 鉄板担いで、鍋背負って。
 いざいざゆかん!森深き山々の懐へ!


 なんだよ。
 そんな湿気ったマッチみたいな目で見んなってば。(爆)



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

A熱烈歓迎御師匠様

 この歳になって言うのも恥ずかしいのだけれど、
 私はずっと、師匠という存在に憧れている。
 それは自分が誰かの師匠にという意味ではなく、
 自分が惚れ込んで弟子入りしたくなるような師匠が欲しい、
 そんな意味での憧れである。


 それも、
 例えば伝統工芸や舞踊、
 若しくはスポーツを含めた武芸・趣味などの
 【技術指導員としての師匠】ではなく、
 思想というか、
 【生き方として絶対的な価値観となり得る御師匠様】というのだから、
 ちょっとやそっとで見つかるものではない。


 件の技術・知識教授としての師匠は、本当にたくさん居る。
 今自分の中で育っている趣味のほとんどは、
 様々な人の影響を受けて始めたものだし、
 友達とクリエイティブな関係を築く分だけ、
 視野も広がるし、考えさせられることだって多い。
 「己以外我が師」とは、本当によく言ったものだと思う。
 価値観のベクトルが違うと言う意味での師匠は、たくさん居る。


 それから、導き手としての御師匠様も、たくさん。
 いわゆる
 「この人が居なかったら、自分はこの道に進んでいなかった。」
 と言える程にお世話になった御師匠様。
 私は普段、およそツイているという生活は送っていないのだけれど、
 その見返りというのか、
 人生の節目節目では必ず人々の良縁に恵まれる。
 そういう意味でも、
 後悔のない人生というのは今時珍しいことじゃないかということで、
 密かに感謝をしている。ありがとう、御師匠様。


 しかし、私が熱望しているのは、
 絶対的な価値観としての御師匠様。
 この人のためなら死んでも良いってぐらいに惚れ込める御師匠様。
 でもそれは
何もかもの価値判断の基準を他人に委ねてしまうことではなくて、
 自分で考える上での示唆が欲しいということ。
 私は見たまんま、常に生き悩み、道をよく見失う。
 危険な程に不安定でありながら、
 なんとか自我を保っていられることに、自分でも不思議な面がある。


 それを導くと言ったら聞こえが悪い、
 なんか宗教みたいになっちゃう。
 そうではなくて、
 ただ存在そのものが大きくて安心できる人。
 「それってさぁ、恋じゃないの?」
 確かに、ある意味恋人って御師匠様みたいなものかも。


 でもそれも、ちょっと違う。
 宗教や恋愛の盲従とは別次元に、
 尊敬の最上級としての御師匠様。
 それも、完璧ではなくて、きちんと人間の温かみがある人。


 「そんな人っているのかなぁ?」
 無条件で尊敬してしまえる御師匠様。
 見つかってしまったら、逆に人生が面白くないのかも知れない。
 巡り会えることを願いつつ、
 巡り会えないことを幸いとも思う。


 そんな面倒な私の逡巡に、まだ見ぬあなたはどう答えてくれるんだろう。
 ねぇ、御師匠様。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


<note>
・「湿気ったマッチ」
 企画者の立場として、
 沈滞したキャンプってのは本当に針のムシロです。(T_T)
 お天気だけはどうにもならないと、皆解ってはいるものの、
 「時間を無駄にしてしまった」という悔しさは
 どうしても伝染してしまうもの。
 旅行もそうですけど、そういうムードって嫌なものですよね。
 そういう時こそ、こういったある種の開き直りって、
 すごく大事だなぁと思うわけです。
 それは決して、
 不運を引け目に感じた上での強がりというのではなくて、
 本当に楽しんでしまえる図太さって言えば良いんでしょうか。
その一線を越えられるようになったら、
 人生、なにごとにも楽しいと思えるんじゃないかな。
 というわけで、そういうアクシデントも笑って許してやってくれ。
 頼む。お願いだ。(笑)
・「熱烈歓迎御師匠様」
 昨年末のボツ原稿のリメイク。
 「信用」と「信頼」は違う。
 というところからスタートした割には、
 ちょっと感覚的に誤解を与えかねない状態に陥ったので
 お蔵入りにしていたもの。
 絶対的な価値観っていうのがそもそもの曲者で、
 とりようによってはかなり危険なニュアンスを含んでしまう。
 主義主張や思想に盲従した人達によって、
 いくつもの事件が勃発している昨今だから、
 何もかもの価値判断の基準を他人に委ねてしまう怖さは、
 みなさんも十二分に御存知のことと思います。
 私の弟子願望は、
 何事にも冷めた視点を持ち続けている自分への苛立ちから来ているもの。
 人の良い面だけを見続けることが出来ない以上、
 私の言う御師匠様は一生見つけることが出来ないんですよね。
 因果なものです。
 なんだか、国語のテストみたいな問答になってしまいました。(爆)