ほぼ月間webちょっ?

第7号:2002/03/09

目次
 @大人のしるし
 Aどことなく犬風味


@大人のしるし
 【焚火の季節】と言うと、思い浮かぶのはいつの頃だろう?
 落ち葉舞い散る晩秋だろうか?
 春や夏を彩る、海や河原のバーベキューだろうか?
 ある程度の年齢の方々にとっては学園祭の思い出かも知れないし、
 地方によっては正月行事の一環として思い出深いとも言う。
 各々の思い出と共に、心によぎる景色は様々である。


 僕らの焚火の季節は「冬」。
 冬の合宿で星見に訪れた八ヶ岳高原に原点がある。
 観測は真夜中まで行われるため、
 寒いテント内とは別に、
 先輩が熾(おこ)した焚火が必ず用意されていた。


 まだ中学生だった僕らは、
 高校生の先輩が囲む焚き火の端っこに、
 ギクシャクしながら混ぜて貰っていた。
 僕らの頃、中学1年生から見る高校3年生は、
 ずっとずっと遠い大人の様に感じたものだ。
 このような場でなければ、
 一緒にいることすらためらわれたため、
 焚火を一緒に囲むということで、
 大人の世界を覗いている様な、
 そんなドキドキする感覚を味わっていたように思う。


 もちろん、焚火をいじらせては貰えず、
 ただ、火の側でコーヒーなどの御相伴に預かっているだけ。
 それなりに長じてこなければ焚火には手を出せない。
 そう僕らに思わせる
 不文律のような、妙に厳粛な雰囲気が、そこにはあった。


 当たり前の話だが、
 焚火の暖かさは距離に比例する。
 また、話題の中心も、焚火の中心と重なる。
 話題の中心には年長の先輩が居て、
 僕らは話題から少し外れた場所、
 外気の凍てつくような寒さとの境界あたりで、
 同級の友人と小さく寄り添って話をしていた覚えがある。


 冬の夜の焚火は、
 実際何より、有り難い。
 外気が寒くなればなる程、
 その暖かな炎は求心力を持って僕らを惹きつける。
 焚火に当たる体の前面は、焼け付く程に熱い。
 しかし反面、背中の側は外気にさらされ、
 凍てつく程に冷たい。
 「ここまで、あったかいね。」
 「こっからは、さむいね。」
 そんな明瞭な境界(ギャップ)が焚火には、ある。
 火照った顔を宙(ソラ)に向け、
 適当な外気で頬を冷ます。
 外気が染みてくるような、その意外な程の心地よさは、
 焚火ならではの楽しみだ。


 時々、先輩が色々と話しかけてくれる。
 「こないだの合宿はどうだった?」
 「顧問のヤツがさぁ〜、、、」
 そんな小さな話題と共に、
 気が付くと、
 密輸の酒やタバコがでてきて、
 半ば強制的に、秘密の共犯者が生まれる。
 火の中心から少しだけ遠くても、
 十二分にその焚火は暖かい。
 そうやって僕らは、
 ほんの少しづつ、大人に近づいていった。


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Aどことなく犬風味

 私は性格が犬っぽいとよく言われる。
 それは少しだけ、嘲笑に似たニュアンスが含まれているようで、
 なんだかちょっと、反抗してみたくなる。
 それはたぶん、気の抜けてのほほんとした面差しと、
 話の輪から一歩引いてポケっとしている容貌とスタンスに拠るのだろう。
 でも、
 実を言うと、そう言われるのも嫌いじゃない。
 私はそれほど、犬が大好きだ。


 そして私は、犬の様な性格の人にとても弱い。
 と言っても、
 従順とか忠実とか、そういった隷従的な意味ではなくて、
 気が付くと隣に寄り添う優しさと、
 一緒に楽しいことを見つける、
 そんな好奇心と行動力に強く惹かれる。


 犬は仲間意識のとても強い生き物だから、
 楽しいことがあると一緒に分かち合おうとするし、
 悲しいときも、一緒に乗り越えようとする。
 その絆の強さが一つの性格だとするのなら、
 私は犬の様な性格と言われても、悪い気はしない。


 「あれをやりたい、あそこが面白いよ。
  だから、一緒に遊びに行こう。
  きっと楽しいよ、ねぇ。」
 こういう子犬の様な誘いに、私は弱い。
 「なにか面白いことはないの?」
 「ねぇ、休みなんだからどっか連れてってよ。」
 「貴方に任せるわ。」
 これではやっぱり、心も少し重くなる。
 心の比重はいつも半分ずつ、
 一緒に楽しみを見つけられることが、
 何よりも楽しいと思う。
 
 単なる気まぐれで好奇心をくすぐる人もいるけれど、
 どことなく節度をもって、
 そっとツボに触れてくる。
 そんな犬風味な人はなかなか居ない。
 謙虚で素朴で、
 それでいて好奇心の塊の様な人。
 尾っぽが見えそうな笑顔で
 「遊びに行こうよ。」と言われたら、
 思わず「ワン」と言ってしまったりして、、、


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<note>
・【焚火を我が手に】(←原題)
 焚火に憧憬を抱く時期、というのはあるのかもしれない。
 まだ色々な部分で未発達の子供時代で、
 「火を使っちゃいけません」
など、様々な制約と共に社会に一歩踏み出せずにいるような、
 そんな頃。
 自分たちだけで焚火をやりたくて、
 奥多摩まで薪を担いで出掛けることも良くやった。
 上手く火も操れず、
 悪戯に大きい炎をあげるだけの焚火は、
 雰囲気もなにも考えない滅茶苦茶なモノだった。
・自分が焚火を扱う年齢になってみると、
 別に大人でも何でもなくって、、、、
 それがまた少し、悲しくて。
 手に入れたのは、時間の重みだけだったのかなと。
・【ぼんやりと犬風味】(←この題名と最後まで迷った) 
 自分のスタンスも性格も、
 決して良い代物ではないことは解っています。 
 ただ、どことなく犬風味の人を見かけると、
 ああ、やっぱり犬風味。なんて思うんですよね。
 (意味不明)