【'00 皆既月食観望会】 2000/07/15~17
◎参加者 若酔・寝太郎・恩田(3名)
◎日程 7/15 新宿コパボウル→新宿パセラ
7/16 新宿→奥多摩→倉沢バス停→大檜→旧倉沢(坂和さん宅)
→倉沢バス停→東日原→倉沢バス停→旧倉沢
7/17 旧倉沢→倉沢バス停→奥多摩→青梅
→日の出三沢つるつる温泉→武蔵五日市
【@新宿コパボウル】
20時。恩田は勤務後、若氏と待ち合わせのため新宿へ。
日程の関係で、寝太郎氏は23時に合流となったため、
時間をつぶしに二人でコパボウルへ。
猿投げをするわけでもなく、
とりあえず投げる。
しかし、すぐに若氏がトリッキーモードに突入。
3ゲーム目→カーブの練習
4ゲーム目→左投げ
それでも時間が余り、
5ゲーム目に突入したところで、若氏が大ブレイク。
一気に170というハイスコアを叩き出したのでした。
22時半にコパボウルを出、
食事どころを探して彷徨う。
飲み屋は多いが、普通の飯屋が少ない新宿。
さすがにこの時間を超えると、
探すのも一苦労。
「なんか、ファーストフードも嫌だよね」
と、探しているところに寝太郎が合流。
ミスドに向かうも、混み混みで断念。
予約していたパセラで食べることにする。
【A新宿パセラ】
朝8時の電車に会わせ、
始電待ち歌い放題+呑み放題コースを選択。
初っぱなからワインでグイグイ飲む寝太郎氏。
それにつられて、否応なくピッチが上がる若氏と恩田。
会社のHPがダウンした関係で、
前日から休み無し+徹夜で復旧作業をしていたはずの寝太郎、
限界を超えて危険なほどに元気なのが怖い。(写真@)
とにかく、食べて、飲んで、歌って、喋って居るウチに、
どんどん時が過ぎる。
午前1時を回った頃、若氏がダウン。(写真A)
まだまだ元気の寝太郎氏と恩田は、
パセラでは必ず食べる「ハニートースト・バニラ&イチゴ」を注文。
(写真Aの中心部に写っている丸ごとの食パン)
モリモリいただき、歌を忘れて朝まで喋り倒した。
|
|
熱唱する寝太郎
|
轟沈の若
|
【B倉沢へ移動中】
パセラ終了が午前5時。
その後はホリデー快速までファミレスで過ごす予定が、
諸般の事情で、始発電車で奥多摩へ向かうことに。
「総武線と同じ各駅だよ、この時間。」
ということで、電車内で睡眠をとることに決定。
言動が不明瞭になってきた寝太郎氏に一抹の不安を感じつつ、
電車で爆睡を決め込む。
もちろん、恩田が寝太郎の“起床係”を担当。
立川で早くもピンチ!
寝太郎が起きない!!
無理矢理中央線から引きずり降ろし、
東京行きのホームへ降りようとする寝太郎を引きずりあげ、
青梅線のホームで、奥多摩行きが来るまで1時間の仮眠。
恩田はこの間にホットドックを食べ、順番待ちの場所取り。
入線にあわせて乗り込むが、
またしても寝太郎が起きない!!
挙げ句の果てに五日市線に乗り込んで寝始める始末。
「ああっ!
五日市線の発車ベルが鳴ってる!!!」
周囲の乗客の助けを借りて車外に放り出して一件落着。
青梅線に引きずり込み、奥多摩まで仮眠。
そして奥多摩駅到着8時。
それでも寝太郎が起きない!!!
汗を流すために駅前の[もえぎの湯]に出掛けようとするが、
開店が10時ということで、現地へ向かうことにする。
寝太郎は駅に着くなり、ベストポジションを発見して爆睡を始め、
とりあえずバスの時間まで放っておくことに決定。(写真B)
バスが出るまでに、恩田は食料の調達に奔走。
日原での食料調達が期待できない以上、
なんとかして氷川周辺にいるうちに確保しないと危ないからだ。
土産屋の一軒が開いており、
食料と、坂和さん(地主さん)へのお使い物の水羊羹を調達。
9時。
バスに乗り込もうとするも、既にハイキングの年輩方で超満員。
順番待ちの列に何とか紛れ込むも、
相変わらず寝太郎が起きない!!!!
人混みをかき分けて寝太郎を列に押し込むが、
何故か自力で脱出、列を離れて爆睡を始める。
ここで恩田がブチギレ。
「起きろっつってんだろーーー!!!」
まだ夢の中でモゴモゴ言っている寝太郎氏を
有無を言わさずバスに押し込む。
途中の大沢付近で、
「恩田ぁ〜、ここってドコォ〜?」と言い垂れる寝太郎。
「ようやく起きやがったか、この馬鹿。」
そして、寝太郎氏はそのまま猛烈な2日酔いに突入。
「さぁて、バスも降りたし、山登るぞっ!」
「ちょっと休んでから行こうよぉ〜、
きもちわるいよぉ〜。」
「大檜まで行ったら休憩取るから。それまで進むぞ。」
「みずぅ〜。飲み物くれぇ〜。」
「ほい、お茶。一人あたり1本しかないからね。
大事に飲むんだぞ。」
ゴクゴクゴクゴクゴク……。(既に空)
途中、尾根道と都の天然記念物「大檜」で休憩。
寝太郎はここで一旦復活。
旧集落への到着は実に10時を回っていた。
|
|
|
文字通り“寝太郎”
|
このまま5時間
おやすみなさい
|
元メインストリートでお昼御飯
|
|
|
|
集落中階段だらけ
|
斜めの階段を上れば?
|
大檜へ向かう尾根道
|
|
|
私有地ですので
許可無き来訪は厳禁です
御注意下さい
|
石垣の小径
(坂和さんの私道)
|
すっかり時に埋もれた
メインストリートを望む
|
|
【C旧倉沢集落にて】
まずは簡易水道の栓を開けて、冷たい清水を一杯。
その後、メインストリートの階段に荷物を置き、
お昼御飯。(写真D)
このとき、既に寝太郎は
《おやすみモード》に突入。(写真C)
かなり不自然な姿勢で自然に溶け込んでいました。
ここで、若氏と恩田がお使い物を持って坂和さん宅へ御邪魔。
囲炉裏に上がらせていただき、
村の歴史・倉沢鍾乳洞開山の歴史などを伺う。
集落は東北で言うところの「マタギ」から800年の歴史があり、
鍾乳洞はどうやら修験道密教系の色彩が強いらしい。
その後、神仏混淆によって天照が祀られ、
真言密教と融合して、
どうやら権現化した(高尾山・御岳山と同様)ようだ。
お茶と葡萄を御馳走になりながら、
集落で保存状態のよい家の場所と、湧き水の場所を教わる。
30分ぐらいで寝太郎の所に戻るが、睡眠続行中。
仕方なく、若氏と二人で集落内をくまなく探検する。
調べれば調べるほど、集落の規模に驚かされる。
商店・風呂屋・理髪店・診療所、長屋……。
急斜面に無理矢理造成した集落なので、
鉱山から出る石灰石で積んだ階段や石垣で、
細かい区画が出来ている。
また、人が絶えて久しいため、
階段の欠損や家屋の倒壊によって迷路化しており、
集落内をくまなく調査すると、
小一時間程の時間が過ぎていた。
この頃、やっと寝太郎氏が機動を開始した。
14時頃、下山する若氏を見送りにバス停へ向かう。
坂和さん宅の私道を下ると、
細かく積まれた石垣が美しい。(写真H)
それにしても、
御歳92にもなる坂和翁の足腰はとても丈夫だと感心する。
登り道も下り道も、まだ若い私たちの足ですら往復は厳しい。
若氏をバス停に送り届けた後、
寝太郎氏と東日原へ。
晩飯と朝飯が足りないため、補給の買い出しである。
日原隧道の脇にある崩落した旧街道を眺めつつ、
買い出しを済ませてベースキャンプへ戻る。
大檜へ向かう尾根道は、
神社への参道を思わせる独特の雰囲気がある。
左右は斜面となり谷へ落ち、
道は所々を石垣で補強されながら、
真っ直ぐに大檜へ向かう。(写真G)
集落の鎮樹とも言えるこの巨樹に一礼し、
日が暮れる前に設営を済ませるべく、
私たちはベースキャンプへと急いだ。
【D皆既月食観望】
メインストリートに張ったベースキャンプに戻った寝太郎と私は、
予め若氏を探しておいた観望地へとキャンプを移した。
倒壊した家屋を取り除き、更地にしてあった高台で、
隣には雨風をしのげる二階屋の廃屋が一軒。
玄関付近だけが倒壊を免れただけの代物だが、
いざという時に役に立てばそれで良い。
基本はあくまでも観測(野宿)である。
庭木に白油燈(ランタン)を吊し、
近くの湧き水をペットボトルに詰め替える。
同僚に貰った梅ジュースを清水で割り、
寝袋にくるまって夜が更けるのを待った。
時々、野猿の啼き声が聞こえ、
ガサガサとイタチや鹿が遠巻きに様子を窺っている。
やっぱり、ちょっと怖い。(笑)
月食が始まり、次第に月が欠けていく様は感動的である。
皆既の状態になり、
恨めしそうなオレンジ色に輝きを失う満月、
逆に、輝きを増して天河(そら)を彩る星々。
ぼんやりと天の川が大きく夜天を画し、
普段はお目にかかれない「海豚座」や「冠座」など、
小さな星座までがハッキリと肉眼で確認できた。
そして、幾筋もの散在流星と共に、
数時間に及ぶ皆既月食は幕を下ろした。
【Eつるつる温泉へ】
翌朝は月曜日。
部類の温泉好きである寝太郎と私は、
二日間の徹夜汗を拭うため、
早朝のバスで駅前の温泉へと向かった。
しかし、月曜は生憎の休館日。
仕方なく、日の出町にある「つるつる温泉」へ。
日の出町には鉄道が通っておらず、
奥多摩・青梅・五日市の真ん中にある不便な地域。
レンタカー? タクシー?
考えた結果、青梅まで電車で行き、
そこからタクシーという方法を採ることになった。
なぜなら、開館までに1時間もあったから。
青梅で朝マックに突入し、
腹ごしらえのあと、タクシーで温泉へ。(50000円ちょっとかかった)
卒論時代から足繁く通った懐かしい建物が見えてくると、
寝太郎氏と年齢にもなくはしゃいでしまう。
寝太郎氏は、西多摩地域の中でここを一番推している。
私も、泉質・便利度から、同じく一番に推したい温泉である。
1時間半ほど、ゆっくり温泉に浸かり、
汽車型バス(かなり恥ずかしい)で、武蔵五日市駅まで出て、(310円)
14時頃の電車で立川へ向かい、そのまま家路へ付いたのでした。
なお、翌日からしばらくの筋肉痛と、
藪蚊やブヨによる虫刺されに、恩田は2、3日苦しむことになるのでした。
|